八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.21


【掲載:2014/01/30(木曜日)】

やいま千思万想(第21回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[まずは皆で古典を聴こう]

 伝統は継承されるほうがいいですね。
それが心の安定、安らぎを生むことになります。
しかし伝統の継承には様々な道程があって、素朴な生活の中から生まれてきた純なるものが外からの影響を受けて変化していくこともあります(本島の古典芸能についても書きました)。
 本来は日常生活の中で培われ、伝えられ、地域に合った形で残していく、伝えていくというのが伝統というものだと私は思うのです。

 前二回にわたって八重山の「うた」における揺らぎ(ビブラート)のない発声、明るく〔くぐもり〕のない発声、地域ならでは音階による節回し(こぶし)といった伝統的な唱法を本土の唱法と比べることでその特徴を示してみました。
本土の古典音楽は「家元制度」によって伝えられてきたものです。
誰もが伝承できるものではなく、誰もが自由に演じられるものでもありませんでした。
 尊ばれ、権威あるものになればなるほど敷居が高くなって、一部の継承者でなければ演じることの出来ないものになってしまいました。

 八重山の文化はそのような姿ではなく、できれば本来あるべき姿、つまり生活の中で息づき、誰もが歌え、誰にでも伝えられるような形で継承されていって欲しいとの思いがとても強く私にはあって、伝統というものが特別なことではなく、日常で絶えることない普通の営みと成って欲しい、そう思うのですね。
八重山の「心」が日常に息づく、素晴らしいことです。
その心が繋がり、アイデンティティー(同一性)を確認しあえる。
何と幸せで、互いが勇気づけられ励まされる事か。誰もが、何時でも何処でも演じられるものと成って欲しいわけです。

 どうでしょう、先ずは皆で古典を聴きましょうか。そして歌い(奏し)始めてみましょうか。
最初は少し距離を感じるかもしれませんが、そのうちに不思議と身近に思えてくるものです。それが本物であるならば間違いなく魅力を持って近づいて来ます。
しかしそうは言うものの、私も最初は近づくことができなかったことを告白しました。
それは言葉の壁であり、様式の違いでした。脳が「知りませんよ!」と拒否したのですね。
 知らないものには脳は冷淡です。
しかし脳は学習もまた好むといった性質を持ちます。
では身近になるためには何が必要か?
やはり「識ること」ですね。
それがいつしか興味、関心事となってしっかりと体に入ってきます。
そのためには解説が必要です。
演者のお喋り(トーク)がいいですね。
冊子や講演会を通じてでもいいです。
とにかく知ってもらうことが先決。
ブームも起こしましょうか。
それには人気者が必要ですが。
古典を演じつつ、現代に通じる新作も必要でしょう。
これらは演じられるものが本物ならば全てがうまくいく筈です。

 大切なことを書き忘れるところでした。伝統が息づき、伝統が継承される。その幸せを共有する、そのためには平和でなければならないということ。
社会的ゆとり、時間と余裕、つまり平和の中にこそ伝統は生きるのですね。





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