八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.20


【掲載:2014/01/09(木曜日)】

やいま千思万想(第20回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[「ゆらぎ」が「こぶし」に]

 日本の伝統的な歌唱法で、長々とした母音の延ばし、揺らぎ(ビブラート)は仏具の余韻を真似た響きづくりであった。
そしてそこに顕れるくぐもり声は自分自身のために響かせた発声であり、不特定多数の聴衆を前にしての歌ではなく家元制度の中の歌唱法だった。
という主旨のことを前回書きました。
その続きです。

 歌う目的はなんであったのか?これがその後の発展の分岐点です。
歌はどこから生まれ、誰のために歌われたのか。
不特定多数なのか、仲間内なのか。
仲間内とは「習い事」を通じての師匠と弟子の関係、その流派。
その制度の歌は外界と別の世界を作ることで発展させてきた歌ではないか。
そこでは「全てが知っていること、解ること」なので言葉が判らなくても困ることではなかったわけですね。
全ては仲間となって伝承される。
これが本土に於ける伝統文化の要点ではないかと思います。

 さて、それでは八重山の伝統的な歌は?
私は残念なことに「弟子入り」したことがなく、いわゆる八重山文化に大きな関心と興味を持った一人のファンであり、音楽家です。
正直を言えば最初に聴いた時、音階と音響(楽器の音色)、そしてリズムに耳を傾けるだけ。
歌われる歌詞、言葉については「何も判らない」聴き手でした。
しかし、その言葉に興味を持ち知識を得るにしたがってそれは身に染みて身体に入ってきます。
音楽の聴き方が違ってきます。
 やはり伝統音楽に接するとは、「聞く」「知る」「習う」という手順が必要で、そのことで伝統の本質も伝わり受け継がれていくということですね。
日本の伝統的な唱法である重さと荘厳(ありがたさ)表現である揺らぎ(ビブラート)を八重山で聴くことはありません。
確かに少し揺れている歌をCDなどで聴くことがあるのですが、それは声の訓練をされていない人たちであったり、加齢による筋肉の衰えから起こっているもので、本質的には「ゆれ」を作らないのではないかと思っています。
八重山の声は真っ直ぐですね。
ですからそれは良くハモります(ハモリとは音と音とがよく調和する、響き合うこと)。
 これは本土にはない素晴らしい特徴でしょう。
重要なのですねこれが。
八重山の音楽、その感性は庶民の生活の中から生まれ、日常の想いが歌となったもの。
その声が調和し、協和する!

 沖縄音楽の中でも、沖縄本島の琉球王朝時代の宮廷音楽は本土や外国からの御客へのもてなしのために本土の影響(特に母音の延ばし)を強く受けて独自の発展を遂げたもので、目的も歌われる場も異なっています。
さて、沖縄音楽の共通する素晴らしい特徴があります。
それは一瞬にして声を装飾的に回す「こぶし」です。
この「こぶし」、世界共通の歌い方でもありますが、八重山のこの節回しは世界的に見てもとても魅力ある特徴です。
私は「ゆらぎ」が「こぶし」となったのではないかと思っています。
伝統音楽をどうすれば受け渡すことができるか、この項次回にも続けようと思います。





戻る戻る ホームホーム 次へ次へ