八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.29


【掲載:2014/05/29(木曜日)】

やいま千思万想(第29回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[人間って素敵で厄介な生き物]

 人の顔を見る時、どのように私たちは見ていると思われますか? 実はですね、人の顔の左側しか見ていないそうです。
見る側から見て左側、本人の右側ですね。
人の顔は左右対称でないことはよく知られています。
鏡を、あるいは写真で見るとよく分かります。
何故左側だけを見てしまうのでしょうか?
それは私たちの脳の働きによっているのだそうです。
 「映像」「イメージ」は右脳がつかさどり、「言語」は左脳がつかさどっています。
脳の形はほぼ左右対称なのですが、機能は違っているのですね。
更に脳が支配する体側(たいそく)は左右交差しますから、左側の視野で見たものは、交差して右脳に届きます。
 人の顔は「映像」脳で処理しようとしますから左側を見て、右脳に送るわけです。
モナリザの絵をご存知ですね。ダ・ヴィンチが描いたあの名画です。あの微笑み、実は絵に向かって顔の右側だけが笑っているんですね。
左半分は笑みではなくむしろ神妙な顔つきをしている不思議な「謎の微笑」なのですね。
ダ・ヴィンチは脳の特性を既に経験で知っていて、その効果を見事にこの絵に描きました。
第一級の傑作、名画となっているあの絶妙な笑みにはそのような作家のカラクリが潜んでいたのです。

 この脳の特性を応用して商売に使おうとする人が現れます。
商品やセールス品を人の流れの左側に並べた方が効果的であることを利用し始めるのですね。
それだと販売数も伸びるということだからです。
多分、これ効果があるのではないかと思います。

 さて、「見る」ということで人間の「心」って何だろうとも考えてみます。
結論から言えば、この「他人観察力」によって「自己観察力」が生まれ、それが「心」となったということなのですね。
もう少し詳しく言えば、人間は進化の中で身を守るために他者の行動、存在を意識し、表情や仕草を観察する必要に迫られた。
 それは他者の、行動の根拠や理由を推測することが必要だったからです。
それでこそ防備できるというものです。
そして次の段階として、他者の行動を推測することから転じて他者から自己(自分)へと観察が向けられ、つまり「自己観察」が「自己理解」となって結びついた時、「心」が生まれたのではないかと思われるのです。

 「心」とは他者が有ってこそ意識されるもので、それは他者を自己投影する、自分を他人の視点に置き換える、一度、外から自分を眺めてみる、ということでもあります。
人に心が生まれたのは自分を観察できるようになったからなんですね。

 自分を観察する、それは自分の身体表現を通じて自分を理解すること。
そしてその身体表現とは、見る、マネる、模倣するということに始まるのですが、しかし他人のやっていることをただ眺めているだけではそれは出来ないのですね。
「自己理解」するためにはとにかく体を動かし、表現することを通して他と己とを対象化しなければならないのです。
(この項次回へと続きます)





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