八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.53


【掲載:2015/05/10(日曜日)】

やいま千思万想(第53回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[人が生きる 活動の根源は「感動!」]

 先日東京で、作曲家の鈴木憲夫さんとの座談会がありました。
全日本合唱連盟が発行している季刊誌「ハーモニー」の企画です。
内容は鈴木憲夫さんの作品についての特集で、氏の作品を多く演奏してきた私と、他に氏と関係深い二名の方、合わせて4名でお喋りをするもので、記事は次回の号(No.173《夏号》)に掲載される予定になっています。
 久しぶりにお会いした憲夫さん。コンサートや長いお付き合いでの思い出、曲づくりのエピソード、また仕事に対する姿勢や音楽界、合唱界の今昔など多岐にわたる話(公私にわたるオフレコ満載)で盛り上がったのですが、いつしかそれらの話は皆が納得の結論へと収束に向かいます。
それは、何故私たちはこの仕事に携わっているのだろうとの話になった折で、「やはりそれは『感動』だったんだ」との結論だったのですね。
「感動」が曲となり、演奏家がその心を衝く衝動、つまり感動をパフォーマンスによって表現する。
そして聴衆もまた同じ衝動、感動として味わう。
その連鎖が人が人として豊かな心を育む芸術となり、人間の生きる糧として脈々と受け繋がれてきたのだ、と皆で交わした納得の結果でした。

 草花を見、木々を見、鳥や虫たちをみてそれらの息吹に心がゆり動かされ、また繰り返される栄枯盛衰(えいこせいすい)にも心打たれてきたのが私たちですね。
日が西の地平線や水平線に沈んでいく夕焼けに何故私たちは感動するのでしょう?
木々の葉の色が濃淡に染まる景色に何故私たちは感動するのでしょう。
私たちを取り巻く植物や、動物にどうして私たちは心を添わせて同調するのでしょう。

 感動することで私たちは人として大いに成長、進化してきたのですね。
感動無くして人間は成り得なかった、この世界での繁栄は無かったと思うのですがいかがでしょう。

 音楽とは面白いもので、色もなければ、臭いも形もありません。
しかし、一旦私たちの耳を通して入れば色が見え、形が現れ、時には臭いさえも感じることがあります。
そして私たちには容易には見えない「生命の鼓動」をも感じることができます。
音楽は「生きているそのもの」を感じさせるということではないでしょうか。

 最近、感動することって少なく、またそのものも薄らいできているように感じます。
大都会で暮らしていると、感動が作られたものとして与えられるのですね。
視聴率優先のテレビ番組やコマーシャル、販売数を競う雑誌等、あらゆる情報を通じて意図的に感動が作られます。
それらはやはり仕組まれた感動でしょうか。
私たちが求めるべきものは心底からゆり動かす、衝き動かすものであるべきです。
では真に感動するにはどうすればよいのか?

 超過激な刺激に慣れないことですね。
良薬も大量に服用すれば問題も起こります。
無機的にならず、心を疲弊させないために、自然と共にゆったりと静かに自身を見つめながら対話していくことではないかと思うのですが。





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