八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.55


【掲載:2015/06/11(木曜日)】

やいま千思万想(第55回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[さまざまな音世界 音律の話(その1)]

 音律という言葉をご存知でしょうか?
これまでにもこのコラムで音楽の不思議と問題点を書いてきているのですが、これから何回かに分けて「音律」をテーマにして書いてみようと思っています。
 音律とは一体なんでしょう。普通に我々が聴く音楽もそれに沿って書かれ、演奏されているもので、あまりその事に気付かずに聴いているのですが、これはとても大切なことで実は文化全般にわたって影響しているものなんです。
「音律」とは一言で言えば、《音の基準》のことです。
簡単すぎて、説明を省きすぎて、何のことが理解しにくいですね。 音と音の幅のことだと言って良いでしょうか。
つまり音階の一音一音の幅をどのように並ばせているかということです。

 音楽とは実は決まった音の並びから作られています。
一定の決まりの幅で並んでいる音階ですね。
歌はその並びを変えてメロディーを作るわけですが、元の形に戻せば音の階段、つまり音階が現れます。例えばドレミファソラシドのようにです。
我々が多く日常的に聴く音楽はこのドレミファソラシドで作られたものです。
このドレミ、西洋のギリシャ時代に端を発しています。
 ピタゴラスという哲学者が、世界に存在する全てのものは数の秩序によって作られていると説明しようとしたことが始まりです。
この「ピタゴラス音律」と呼ばれる本体のことは後にお話しすることとして、先ずは音律の一般的なことから始めましょう。

 音律は世界の民族の数だけあると言って過言ではありません。国や民族特有の音律があります。
それぞれに違いがあるのですが、共通点も見出せます。
それは音に関して感性が異なると同時に共通する同じ感性もあるということです。
その共通点が《純粋のハーモニー》であるということ、それがまた面白いのですね。

 我々が聴いている音楽は全て濁った音、ハーモニーだといっていいでしょう。
そう書けば驚かれる方もあるかもしれませんが、事実、一旦純粋に協和している音を知り、体験すればいかに我々はそれとは異なった世界の音を聴いているかということを実感されると思います。
そうして純粋の世界からどのような苦悩を経て今に至り、未来の音楽はどうなって行くかも見えてくると思います。

 ヨーロッパに根ざしている音、そして音律。
そこを離れて八重山に目を向ければ当然ヨーロッパではない、八重山特有の音律があるということでもありますね。
その文化を、音律の歴史を通して眺めてみたいとの本来の私の目的へと筆を進める機会がやってきたかもしれません。

 人間の最も本能的な聴覚。その聴覚をつかさどる大切な器官、耳。
音楽は音を感じる喜びですね。それは音を享受したいと願う人間の、耳の欲望でもあります。
古来からの音律をたどり、先人たちがどのように音を聴き、響きを感じ、作ってきたか。
音律の歴史、歩みをたどっていくことにします。

(この項次回に続きます)





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