八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.59


【掲載:2015/08/06(木曜日)】

やいま千思万想(第59回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[さまざまな音世界 音律の話(その5)]

 ケルト文明が気になって仕方ありません。ヨーロッパの文化に接していると、何かと「ケルト」という言葉が出てきます。今回も登場しますから是非興味を持って下さい。
その話を始める前に前回までのあらすじを。
 古代ギリシャ時代に哲学者・数学者であったピタゴラス(B.C.570〜B.C.496)によって作られた音楽の基礎、ドレミファソラシド(「ピタゴラス音律」)。
そしてこれらの音づくりの元である5度(例えばドとソ)の響きで複数のメロディーを重ねるスタイルを生み出しました。なんとその響きだけでほぼ300年間を歌い続けて音楽を楽しみ、かつ精神的な拠り所としたのでした。この時代である中世では8度・5度・4度(5度の転回音程)の三つだけが美しく、調和する響きとして用いられていたのですね。
 この響きは日本の響きと同じだと言って良いでしょう。日本のみならず世界がこの5度の響きを共通として楽しんでいました。
 さて、この中世の「ピタゴラス音律」から次のルネサンスの時代へと扉を開いたのが3度音程(例えばドとミ)の響きなのですね。これが前回までの話でした。

 ではこの3度の響きをもたらしたのは誰か?ということになります。
それがケルト人、ローマ文明よりさらに古い、ケルト文明です。
ちょっと壮大な歴史の話しになりますが、先史時代の青銅器時代にまで遡る紀元前3500年前の話。その青銅器時代後期から次の鉄器時代初期に現れて紀元前1200年〜紀元前500年にかけて勢力を誇り、多大な影響力を与えた先住民族(狩猟民族)ケルト人。その後ローマ帝国の圧迫を受け、各地の文化に同化されて消えていくのですが、撤退を余儀なくされ、逃げ延びたケルト人が今のイギリス、ブリテン諸島に移り住み、現在に至るまでその文化を継承しているとされています。しかし実はケルトについての研究は学者の間で見解が異なり、まだまだ謎に満ちている状態です。これは彼らが文字をもたず、その実態はギリシャ・ローマの文献に依るしかないからなんですね。
 現在6地域(ブルターニュ、コーンウォール、アイルランド、マン島、スコットランド、ウェールズ)が「ケルト国」とされ、その中のアイルランド地方の音楽文化が3度の響きをもたらしたのではないかと言われています。

 3度音程の響きに魅了された中世の人々が、5度の響きの中に3度を含め、その「ド・ミ・ソ」のハーモニーに心を奪われたのです。新境地への進展です。(現在の和音の基本です)
ドミソがいかに純粋に心地良い響きとなったか!「ピタゴラス音律」では3度は濁っていたのですが、ここに来て純正3和音が鳴り響いたのです。中世の「ピタゴラス音律」時代が終わり、ネッサンス時代へと移ります。音律の歴史が「純正律」の時代へと入ったのですね。

このルネサンスにおける3度の響きによって、大きく西洋と東洋の音楽文化が隔たりをもつようになります。
(この項つづきます)





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