八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.64


【掲載:2015/10/22(木曜日)】

やいま千思万想(第64回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[さまざまな音世界 音律の話(そ10)]

 これまでの内容をまとめることにします。
その後に西洋音楽の「音律」に戻り、現在、我々がどのような状況下にあって音楽を享受しているのか、つまり受けとめているのかを考えてみることにします。
 「音律」とは?それは〔一定の決まりの幅で並んでいる音の並び、音階〕のこと。その「音律」は一つだけではなく様々な民族で用いられているものがあること。
その中でも、日本を含む世界中に広く普及している「音律」が、西洋のギリシャ時代に端を発している数学の取り組みで生まれた「ピタゴラス音律」と呼ばれる「ドレミファソラシド」であること。
その音階は感覚的な「純粋の響き」を基音として物理学とその計算とによって生み出されてきました。

 感覚的な「純粋の響き」、それが同音並びにオクターブ(8度音程とも言い、男性と女性との声の関係)と長期にわたって聴き続けられた5度音程の響きであったのですが、「ピタゴラス音律」には〈人類に与えられた大きな試練〉である「ピタゴラス・コンマ」と呼ばれる計算上の誤差を含んでいました。
その誤差が音と音との組み合わせによっては大きな不協和な響きを伴うことになってしまいました。
 この誤差の修正の歴史、それが西洋音楽の「音律」の歴史です。
この歴史は鍵盤楽器を用いたがゆえに起こった修正であったことは重要です。
 声についていえば、音律上の面倒なことは起こりません。耳の感覚だけで合わせることができます。
それが楽器が加わることによって、楽器のために楽器自体を調整する必要ができたのでした。
西洋音楽の基本が鍵盤楽器(パイプオルガンやハープシコード、そしてピアノ。現代では電子楽器)であったための厄介な処置です。
 音律の歴史的流れは「ピタゴラス音律」、「純正律」、「ミーントーン(中全音律)」、「ウェル・テンペラメント(程よく調整された音律)」、そして現代の「平均律」と移り変わります。
この時々にはそれにあった作曲家が居り、作品があり、「音楽」があったことは言うには及びません。

 西洋編では「純正律」まで書きました(その6まで)。
西洋は純正の5度音程の響きが基本になっていたのですが、大事な事は世界中がこの5度の響きで共通していたということ。その後に音楽は大きく分化し、文化として別れることになるのですね。
 そこでこのコラムも一旦西洋から離れ日本の音楽へと飛びました。5度音程の響き(転回音程の4度音程も同じ)と5音音階による共通の世界です。
 「5音音階(ペンタトニック音階)」、「ヨナ抜き音階」とも呼ばれる音楽の特徴を書いたのですが、一筋縄ではいかない日本音階はまだまだ底深く、研究の余地も残っているということ、そして何よりも沖縄音楽の「二六抜き音階」はそれ以上に謎を含んでいる、と書いて前回は終わりました。
 「音律」の歴史は民族の歴史を探ること。話は悠久の世界へ。
次回から西洋編に戻ります。
(この項つづきます)





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