八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.78


【掲載:2016/05/19(木曜日)】

やいま千思万想(第78回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

経験を経た思いは真に心を打つ

 前回の続きです。
歌は一人でうたうことから始まり、 そして徐々に人を呼び寄せ、集まり、複数による集団の歌ともなったということでした。その二つの形態は並行して後世に繋がっていきます。
一人で歌ったり楽器を奏することは「個人」の世界です。自由な世界であり、自分のために歌っているだけならば技量も問われることはありません。
 複数による集団となった演奏も基本は同じなのですが、社会的な営みとして、コミュニケーションや集団の結束のために用いられたりすることもあり、一人演奏とは大きく異なっていることが含まれます。
そして、両方の形態に共通して起こるのですが、これらが演奏されていくなか洗練され、人々から求められ、魅了する技巧に長けた専門家が登場してくるのですね。
「演奏家」の誕生です。それらがプロの歌い手となり、合唱やオーケストラという専門家の集団へと発展していくわけです。
最初は技巧など意識せず、”巧い””下手”も問題にせずに楽しみや感情の高まりとして謳歌(おうか)していたものが、見(魅)せる、聴かせる専門職へと分化していったのですね。
今も昔もこの両者の溝は深く横たわっています。
 アマチュアとプロとの溝。これらがはっきりと意識され、社会的にも認知されているときはそれぞれに真っ当な領域として役立っていたのですが、この両者の間に存在する「ある種の人々」がいつも問題になります。アマチュアとも言えずプロとも言えない領域での人々です。
私は積極的にこの領域を支持する者です。
いつもこの領域から新しい世界が開かれます。次代を担う人々がここに存在している、そう確信するからです。
しかしそうはいうものの、その領域のある動きのために混乱が起こり困惑することもままあります。
原因はそういった人々の協調性の欠如、個にこだわる故の硬さにあるのではないかと私は思っています。

 人は皆自分を信じたいものです。また信じられない故に固執してしまうものです。
しかしそれを乗り越えた所に新しい世界へと扉が開かれると思うのですね。
解決法、それは一度は専門的に物事に取り組んでみる、ということです。
個人的パフォーマンスならばグループで、そして集団としてのパフォーマンスならば個人的技巧の高度な取得を。
音楽でいえば独唱(奏)家となるために真剣に技巧の取得に取り組んでみる。
協調性ということでは、合唱やグループに参加して徹底的にアンサンブル力とそのための個人的技巧の取得に取り組む、ということですね。
少しきつい言い方に聞こえるかもしれないですが、問題を起こす人々、それはこれらの経験がない人々ではないかと思うのです。
専門的な訓練の厳しさを知ってこそ、己と対峙することを知ってこそ、真なるものが見えてくると思います。
私的な歌をうたいたいと思います。
そしてその心をもって共にうたう歌もうたいましょう。最良の演奏を追いながらです。





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