八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.129


【掲載:2018/07/26(木曜日)】

やいま千思万想(第129回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

〈美しく〉〈整った〉美しさは個性の魅力の上にあるべき

 最近、またまた「人」のことを考えます。
きっと私の心の中で〈人を愛したい〉という気持ちが膨れあがってきているからだと思います。
その「人」というのは只、漠然と一括(ひとくく)りされた集団のことではなく、一人一人が過ごされてきたであろう人生、掛け替えのない命そのもののことです。
例えば一億の人口ならば、一億人一人一人の「生命(いのち)」「人生」のことです。
自然災害に遭われた方は言うに及ばず、今、ご病気その他の深くて解決しがたい様々な悩みをお持ちの方全てを想像でき、
出来ることならばそのお一人お一人の気持ちに寄り添うことの出来る自分でありたいとの思いが、またまた「人恋しく」させているのだろうと自分を見つめます。
協力し合うことの出来る、人生を共に生き抜く仲間が恋しく、そしてそれを強く欲しているのだと思います。

 新たにそのきっかけとなったのは、幾つか他者の演奏を観たり、聴いたりした時でした。
若い人たちの演奏は、以前に比べて実に〈上手く〉なっています。
ハーモニーは純正に近くなり、それも全曲を通じて安定して追求しようとする姿勢。
メロディーの横や縦の流れもよく合わさった、いわゆる「アンサンブル力」の巧みさに表れている、その絶え間ない努力が見えてくる高い水準です。
私が新しい発声法やハーモニー理論を世に問うた時と比べると格段の進歩が見られることは間違いありません。
しかし、それらの演奏のあまりにも〈整っている〉ことに、何とも表現しにくいのですがある不安を覚えている私であることに気が付きます。
目的が〈ハーモニー〉であり、〈形の整い〉に終わっているのではないかという、十分に満たされない気持ちがそれです。

 私が求めているのは音楽の内容、演奏者の気持ちなのですね。
美しく整っているだけではなく、〈人間〉を感じさせる演奏です。
音楽で一番大切な(と私が思っている)、人としての感情、演奏している人(一人一人)の感動を味わいたいのですね。
ただ〈美しく整った演奏〉だけでは人として成す魅力は十分とは言えません。
そこに光を放つ〈人〉、その存在感がなければならないのです。

 私のもとに質問やお願い事のメールや手紙が時折届くことがあります。
内容はコンクール絡みであることが多く、手っ取り早く言えば「良い成績を得るためにはどうすれば良いか教えて下さい」という類です。
コンクールの事に触れるとなると、とても多くの紙面が必要となるのでここでは詳細に論を展開するというわけにはいかないのですが、
私はある時期から〈コンクールの審査員〉を辞退しています。
コンクールには功罪があるのですが、今のところ私には〈功〉を見出せないでいるのでしょう。
「歌心」を聴きたい! 一人一人の個性や思いに感動し、歌う人の人生を演奏の中で想像したい!
「人」を感じるほど人にとって感動的なことはありません。
そして心と心が繋がる程強いものはありません。
〈人恋しい〉日々が続く私です。





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