八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.188


【掲載:2021/02/25(木曜日)】

やいま千思万想(第188回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

変わりゆくもの、変わらずに私の中に生きる確かなもの

 もう一紙のコラムでも書いたのですが、例年ですとこの季節には私は石垣に居ても不思議ではありません。
しかし行けないでいます。その理由の一つは「新型コロナウイルス」、そしてもう一つは石垣島自体への私の想いの変化でしょうか。
周りくどくなりそうなのでハッキリと言ってしまいましょう。
「島の変化」と「風土」がとても気になります。
それは島の〈本土化〉であり、それによる〈変わりゆく風土〉ではないかと、あくまでも私見なのですが、これまでずっと島を見続けて感じる思いです。
印象でなく、本来ならば様々な資料を用い、数値を示し、具体例をもって意見を述べるのが筋だと思うのですが、
それを打ち出す時間も無くただただ思いだけが先走っているこの頃です。

 一生のうちで一人が出会う人の数はそう多くはないでしょう。
顔見知りであるとか、言葉を数度掛け合うといった出会いはプライベートでも仕事でも沢山あるかもしれません。
有名人ともなればそれこそ想像できないほどの顔を見、見られています。
しかし、本心を聴いてくれたり、親身になってアドバイスをしてくれる人となればその数はそう多くはないと思うのですが、いかがでしょう。
影響を与え合える友人を得たいと私は探し続けます。
音楽を生業(なりわい)にしているのはその〈出会い〉を求めている、というのが一番の理由だと思います。
真に信じられる人と出会いたい。その人と関わることで自身も信じられる人間になりたい。
それが人生の意味、喜びだと思って生きてきました。私利私欲など忘れて時間を共に過ごすことのできる〈その人〉。
それを求める毎日であり、そのために考え、動き、コミュニケーションを取る。その手段を活かす。

 とは言うものの世間から見れば決して付き合いが良い私ではありません。
頻繁に会ったり、文を交換し合ったり(SNSですね)、定期的に消息を知らせたり、それは苦手です。
私は〈その人〉たちと会わなくとも忘れる事はありません。
出会いの感謝、経緯や、その出会いの重みは決して頭から離れることはありません。〈ある人〉の存在がもう私自身の中に居るからです。
私の〈繋がっている〉という感覚は確かです。

 石垣島が少し遠のいているのですが(去年の今頃は石垣島に居ました)、そのわけについては先に書きました。
しかしその好きな島で出会った私の〈ある人〉は居ます。私と石垣とを強く繋いでいた人です。

 訃報が届きました。その人が居なくなる心配が現実となりました。
この原稿を書いている今日(2月22日)はその人の告別式と知りました。
残酷ですが、その繋がりに感謝する私が今を生きています。
笑顔が素敵でした。
暗く落ち込んでいる顔を知っています。麺を作っている力強い笑顔も知っています。
私に石垣島に訪れたいと思わせる人でした。
癌による長い闘病、その間に自宅でお会いしました。
その時撮ったツーショットが真に人の歴史の姿を表しています。
その温もり、私の中に確かに生きています!
……石垣安吉さんに祝福を!

 



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