八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.190


【掲載:2021/03/25(木曜日)】

やいま千思万想(第190回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

歴史の逆流ではなく進歩であってほしい

 時代を振り返ってみれば人間が社会を形作っていくなかで、人の集まり組織が生まれ、体制を形作っていく歴史と捉えることができます。
体制を作ればその中で生活の安定を維持したいとの願いが強くなるのも当然です。
となれば、体制を擁護して益を得ようとする思いが起こることは当然かもしれませんね。
「体制」とはその時代における勢力有るもの、そして権力を持つものとすればこの成り行きは正当でしょう。
しかし一方、そういった体制が生まれればそれに属さない、属することのできない人々が存在することになるのもまた当然で、
そこで「体制」に対する「反体制」も起きることは明らかなことです。ここで対立が起こります。
〈対立〉は静かな闘争(意見を交わし会う対立)もあれば、戦という悲惨な暴力行為(互いに傷付けあい、殺し合う戦争)へと向かうこともあります。
人間がまだ原始時代のように成熟していない社会ならいざ知らず、さまざまな歴史を刻んで学び、成熟してきた社会であったならば決してあってはならないものです。

 「既得権益(きとくけんえき)」という言葉が有ります。
既得権益の中で人間は生活する、と言っても良いでしょう。
心の平安を感じるのは同じ考えの仲間が大勢居ること、そしてその仲間が作り出す営み(仕組み)が幸福へ導いてくれるのであれば誰もがその中に居たいと思うのは当然です。
しかし、人間とは難しいものでそんなに単純な思考で以て存在するわけではありません。
「既得権益」が対立を引き起こす要因であり、その仕組みが大きくなれば成る程、内にいる者と外にしか居られない者との間(はざま)が強く大きく互いを分けてしまいます。
最近よく目にする「分断」です。
そういった人間が持つ問題性がもたらす「格差」を公平にするためには、できるだけ様々な意見を聴き合い調整し合うのが必要だと私は思いますね。
それには忍耐と寛容、真の決断あるの心が良い方向へと向かわせるのだと。

 「聴き合う(意見を述べ合う)」ということの大切さを痛感します。
「聴けない」「聴く必要がない!」という思いが大きくなればそれは人間の歴史の逆行だと私の身体は強張(こわばり)ます。
国会中継を見ます。「コロナ禍」にあって国はどのような対策を取ろうとしているのか?各政党の主張が知りたいとの思いです。
今はそれに加えて官僚や大臣の問答が気になります。いや、もう面白いを通り越して憂鬱になります。
正直、馬鹿馬鹿しさが込み上げてくるのは「日本語の不明瞭さ」、呆れるほどの日本語の無力さ、です。
これでは主張が異なる互いの間(はざま)が狭まることはないでしょう。
「聴き合って」の問答なのでしょうか?そうはとても思えない実像が繰り返されています。
互いが真面目に、そしてひたむきに向き合うってこんな風ではないですよね。国会って一体何なんでしょう?
私たち国民の様相、意識がそこに反映されているのでしょう。じっくり考えてみたいですね。
ひたすら国の提言を守ろうとしている者の〝つぶやき〟でした。

 



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