八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.191


【掲載:2021/04/22(木曜日)】

やいま千思万想(第191回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

何を信じ、何を誇れば良いのでしょう

 何を信じれば良いのでしょう。
私には状況がどんどん酷くなっていっているように思われてなりません。
世の中のことを知るために、今、何が起こっているのか、起こってしまったのか、状況はどうなのか、原因は何なのか?
それを確かめたいと強く私は思います。

 知りたいと思えばその方法、手段として何処に尋ねたら良いのか。
活字媒体を情報源としたいのならばどれを選び、どのように読めば良いのか。
また最近の主流となっているSNSならばどの書き込みを信じれば良いのか。
ここ数年、いよいよ判らなくなってきました。
至る所で論争が起こっているのですが、その様子を見れば議論とはなっていない問答が繰りかえされていて理解できません(と私は憂鬱です)。

 人の話が聞けない状況、誰もが孤独の〈自分本意の言い放ち〉になってしまっている。
それぞれに自分の言いたいことだけ言ってその応対に興味がない。互いがそうであれば、これは論争とはなれず、意見の論争でもあり得ない。
そんなやり取りをずっと見てきた様に思えます。
今も世界中を恐怖のどん底に突き落とし、感染者やその親族等に苦しみの叫び声、悲しみの絶叫を挙げさせている『コロナ禍』。
長期にわたって続いている(どんどん酷くなって続いている)「新型コロナウイルス」は、次々と進化し変容を成し遂げて人間に襲いかかって来ています。この人類が直面する初めてのウイルス。我が国や自治体のその対応策に、私は一度も納得したことはありません。 何を信じれば良いのでしょう。この混沌とした世界の中で、我が国で。
これは人類の歴史の中で特記されなければならない事態でしょう。

 その最中にあって練習、そしてコンサートが続けることができている私とその仲間です。
大阪、京都、名古屋、そして東京と、それらの地を渡り歩く私が一番リスクが高いでしょうか。
しかし、仲間も私も感染している者は誰もいません。
それは誇れることかもしれませんが、感染しない努力は半端じゃないと心得ます。
日常にあってはそのための精神的なストレスは計り知れないと思います。
もう少し彼らの精神的な負担が軽減されて良いかと思うのですが、その拠り所がない、というわけです。

 感染し、重症化し、死に至る方も多くなってきているというのは本当でしょう。
子供も、若者も、年長者も全ての世代に広がっていく進化したウイルス。
もう逃げ場はなく、何処にでもその危険は迫ってきています。ワクチンもイタチごっこ。決して100%安心とはならないでしょう。
さて、どうすれば良いのか。
何を望むべきなのか。増え続ける感染者は一体どのような所で、どの様に行動しているのか。
知恵者として挑むしかない!と再び書くことになります。
もう、一人一人、全国民が知恵者となって行動するしかないとの結論です。
自治体や国政に対して注文をつけるのは当然として、私たちもそれぞれが感染しない対策の完全化を目指して進んでいく。
その行動しか人類を救う道はないと知りました。

 



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