八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.241


【掲載:2023/06/22(木曜日)】

やいま千思万想(第241回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

【[聴く」ことの大切さは大人が示すことで伝わる】

 八重山毎日新聞6月8日、『〜かしこくなるために「聴く力」〜』と題した記事が掲載されていました。
良いお話でした。「聴く」ことの不思議と大切さは言い尽くすことのできない「人間力」を示す技であり、器官です。
是非「共感」とする共通内容にしたいですね。

 聴くと言うことの難しさは以前にもこのコラムで書いたことがあるのですが、
今回この記事を読ませて頂いて改めて幼児教育、就学年齢時の「教え」が如何に大切であるかを再確認しました。
日々、聴き合うということに壁を感じています。お互い、あるいは沢山の人前で喋る、語りかけることに難しさを覚えるのですね。
近ごろは益々言葉の信頼度が失われています。国会では驚くような大人たちの遣り取り、そして聴いている人たちの態度(時には眠っています)。
それを「手本」とは到底言うことができないお粗末なシーンが続いています。
一応丁寧な(丁寧すぎる)言葉語りで応答していますが、それがどうも真意を見誤ることに繋がっているようです。
喋っている方も(応えている方も)も日本語の曖昧さを上手に(巧すぎるほどに)操ります。
メモを書くのは専門の人が居るようですが、本人による肉声が今では殆ど聞くことができなくなってしまっています。
子どもたちには、先ずこの国で行われている政治での話し方、聴き方を教えても良いのではないかと私は思っています。
子どもだから「まだ早い」とか「大人になれば判るようになるでしょう」はありません。
子どもたちの聴く力は侮(あなど)れません。大人顔負けの賢い「訳知り」子どもも居ます。
それは何処で身に付けるのでしょう。学校かもしれません。でも私は家庭環境だと思っています。

 親御さんと話をすれば判ります。
言葉という生き物は、使う人によって意味が異なります。人間は共通の「辞書」を作るために格闘する毎日を過ごしているようです。
喋り、文字を作り、その方法を用いて互いに意思疎通を図る。
文字は読むことが出来れば意思は伝わりやすい。それが「聴く」となると、そう簡単なことではなくなる。
漢字の「聞く」と「聴く」の意味の違いは大きいですね。

 「聴く」は相手の発するものを深く識別すること。それは書くより格段に問題を含んで、困難さは想像を超えて高くなる。
「き〜〜い〜ろ〜い〜は〜〜な〜」を大きな声で、一文字を長く読む。これ、判りづらいですよね。
同じように、「きをつけろ!きけんなどうぶつがあのおかのむこうにいるぞ!」とか「わたしはあなたがすきだ」と判るには、自身も同じことを喋っていることが条件です。
自分で喋ることの出来ないことは聴くことが出来ないはずです。赤ちゃんの時から体験を通して教えましょう。

「言葉」をわざと誤魔化さない!
必要以上に沢山の意味を付けない!
己を裏切らず、正しいと思ったことを言葉にすれば良い!
己に素直に、正直に生きる言葉を発すれば良い!
「聴く力」を確かなものにする。それは簡単なこと。
大人がそれを示せば良いのです。 





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