八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.312


【掲載:2026/08/27 (木曜日)】

やいま千思万想(第312回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  當間修一

【命の根源に身が震える 「縄文」を残すの方言の言葉】

今回は一冊の詩集をご紹介しましょう。実は私もこの詩人を今回初めて知りました。
きっかけはある合唱曲からです。曲名は「さでやさでや とくとく」–混声合唱、三弦とチェロのために–と名付けられています。
作曲者は新実徳英。とても意欲的な現代作品と言えましょう。
作曲家自身が書いています。『「良い子の現代音楽はさようなら」「邦楽情緒もさようなら」』がイメージだったと。
先ず、その詩が凄い。読めば胸を鷲摑みにされ、眠っていた深い実存の魂の叫びというものが現れる。
なんと力強く響いてくることか。東北弁風の力強い言葉は原縄文(げん・じょうもん)を息づかせる。
もうこれだけで演奏する者にとって、立つ位置が定まる。
初演時は、「合唱、三味線、琴」の協演。(今回は琴をチェロに変え、三味線とチェロとの組み合わせに改訂され、この版による初演となります)

 資料によって紹介します。詩人は 新井高子。群馬県桐生市生まれで慶應義塾大学文学部卒業。2024年、詩集『おしらこさま綺聞』で第六回大岡信賞。60歳、とのこと。
 驚きましたね。とにかく言葉による「音韻の響き」、その感性の鋭さ、そしてその響を持つ言葉たちの力強さがぐいぐいと読み手の魂に迫ってくる。
是非手に取って味わってください。詩集『おしらこさま綺聞』を。

 練習を通じてひしひしと「言葉」と「音楽」との結び付き、その密接な関係性に喜びを覚えます。
最近、その関係性が希薄に成りつつあると嘆いていた私。作曲の技術が言葉より勝って書かれている作品が多くなりました。
勿論、器楽の作品ならば十分に楽しめますが、そこに言葉が付いならば、やはり言葉を楽しみたい。始めから言葉を無視したものならばそれもまた有りでしょうが。(それは言葉が有ってもそれは言葉の意味を持たない一種の楽器音として扱っています)。
言葉と音楽が密接に繋がっている作品ならば、器楽曲や声楽曲といったジャンルを越える芸術になると信じます。
 音楽史をみれば、声楽曲から器楽曲へとの移り変わり。そして時代が進むにつれ、声楽曲は器楽の要素を取り入れ、器楽曲は声楽の要素を取り入れるようになり現代に至っています。
そして、ここにまた新たな作品が生まれた、ということになります。

 改めて「縄文」の息吹、荒々しさも有る生命の根源を感じます。狩猟時代であり獲物を追って地を巡る人々。
後の稲作を携えて定位置での暮らしを始めた人々との違いは明瞭でしょう。
私は以前から「縄文」に魅力を感じていました。私が作る音楽はそれを基盤として、後の文化を眺めるスタイルです。
どのように人間は変化してきたのか?作品とそれに臨む私自身の奥底にある「何ものか?」を知るための道程です。
久しぶりに興奮を覚えます。練習を重ねながら一枚一枚我が身の衣が剥がされてゆく興奮です。

人間は不可解です。
しかし実に面白い。人間を諦めず、もし「夢」というものを描いたなら、徹底的に「人間」を楽しもうと思っています。
詩人と作曲家に感謝です!





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