No.8('92)

続・男にもの申す


合唱団を例えれば「高校生」のような成長期にあるのではないか。
ということから始めたのが前号でした。今回はその時期にとって、共通の悩みであると同時に一大関心事である「男女交際」(いかにも中・高生風でしょ)についてもう少し書いてみようと思いました。しかし、今回は断定的でなく、あくまでも聡明な男性諸君の今後に期待・・・・という書き方になるでしょう。何はともあれ・・・・

今回は《続・男にもの申す》です。

人間、男と女。当然この間での問題が多く出ます。
その悩み事は年齢に応じて様々にあるでしょう。
しかし、一応、ここでは思春期といいますか、青年期にかかる時の異性問題を取り上げます。それは丁度問題を抱えるその時期に合唱団があると思うからです。
団員の中にも若い人たちがいます。何かの参考になればよいのですが。

私がまだ二十歳代の頃、いくつかの失敗をしました。その時にもう少し人からのアドバイスがあれば・・・・・と少し経ってからよく思ったものです。(しかし、生意気と自己本位、突っ走ることしか出来なかったその時は、どんなアドバイスも聞くことは出来なかったかもしれませんが) そして、いずれは後に続く若い人たちに、同じような失敗を繰り返させない為にも話しが出来るように成りたいと思いました。
幾つかのポイントをここに書いて見ます。考えるきっかけとなればよいのですが。

(1)異性を求めるのは動物的本能です。
(2)始めは自分と似ている者にお互い引かれやすいものです。
(3)恋愛感情は一人歩きしない。つまり、努力が必要だということです。
(4)「恋愛」の結果は共同体?それともそれぞれが自分の都合のよいように利用したいためですか?

しかし、「恋愛」とは前にも書いたように、色々なケースによって内容が違ってきます。
それというのもこの「恋愛」というのは非常に個人的な問題の事柄であるからです。
「利己的」と言い直してもよいでしょう。つまり、本来が非社会的なものであって、その中に矛盾をいっぱい含んでいる行為でもあるのです。
「利己的」とは「他」を排すること、自分の都合のよいようにぱかり考えることです。
これからの「恋愛」は、どう社会的なものとバランスを保っていけるかということを問われるのではないでしょうか。
「恋愛」即「結婚」というには結びつかないかもしれませんが、「結婚」に結びつく場合、この「利己的」なものが顔を見せ始め、少し問題になる場合が多いようです。
シュッツ合唱団の中でも考えさせられるケースが幾つかあります。
例えばこんなことがありました。
*男性はメンバー。女性はメンバーでも音楽に携わっていたのでもないAの場合。
結婚式の後のパーティーを計画する時、新婦が2人を祝うのは当然とばかり、合唱団に多くを望み、はたから見ているととても身勝手な振る舞い、始めいろいろ計画を立てていたことも随分と印象を悪くし、不満が残ったパーティーとなったことを思い出します。
*男性も女性も合唱団員で古いメンバーのBの場合。
端から見ていると典型な女性主導型。何事も彼女の都合で事を運ぶといった感じ。結局は子育てで合唱団を続けられなくなった。
*何年か前のCの場合
やる気充分の女性。団に対しても随分と意見を述べていた彼女。結局今からポイントを繋ぐと、やる気を持って入って来たが段々と思う通りいかなくなり、最後には結婚相手を団から選び二人とも辞めた。ということ。
*つい最近のDの場合
この場合も最初は女性のすごい勢いの入団から始まり、そして団の役員にもなり、随分と力を注いでくれたのですが、これも外から見た行動だけを繋ぐと、入団一頑張り一夫選ぴ一二人とも辞める。というパターン。
それぞれの場合、本人たちの言い分もあるとは思うのですが、結果だけを見れば上のように結論づけてもよいでしょう。
ここで私の言いたいことがお判りですか?
女性を非難するためにここに書いたのではないのですよ。決して!
そう、男性の姿が見えないのです。
男性の個性、意思が見えてこないのです。途中で変わってしまったと思うしかないのですよ。男よどうした! (私は呆れています!)
「恋愛」は人間にとって避けて通ることの出来ないもの、そして、必要不可欠なものです。
そのことによって、思いやり、優しさ、責任感などの感情を育てます。
私の最大の関心事、それは「恋愛」の中身ではありません。その「恋愛」の結果が、社会に対し「閉鎖性」のものなのか、それとも「発展性」のものかなのです。





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