八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.14


【掲載:2013/09/29】

音楽旅歩き 第14回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[「聴き合う」西洋音楽の神髄はアンサンブル]

 最近話をしていて、ちぐはぐな事になるのを感じることが多くなりました。
「話をする」のは難しいですね。
人前では苦手、恥ずかしくて、との意味合いでは無く、話で思いを伝えるのは想像を超えて難しいということです。
それは相手が一人の時でも、大勢の前で喋る時にも基本的に難しさは同じです。
喋る言葉が適切であるか、たとえ適切であっても相手に同じように伝わっているか、それが判然としないのです。
言葉が持つ意味合いは人それぞれだからですね。
喋り手が内容を整理し、構成しながら、言葉を紡いで話す。
話したとしても、それが正しく思いを伝えられているかどうかは不確かだということですね。
 指揮台や講座で多くの人の前に立つごとにその困難さを痛感している私です。
 思いを伝えるって、喋るって難しいのです!ましてや、人の「話を聞く」ことの難しさはそれをはるかに超えますね。
言葉は聞き取れていても本当に真の内容を話し手から受け取って理解しているか?心許ないことが多いのです。
 ときには正反対の意味に取ってしまうことすらありますね。
その原因はきっと、聴き手のイメージ力と応用性の不足、そして思い込みに依る度合いが強いからではないかと思っているのですが。

 人間は話を聞く場合予測をもって聞こうとする習性があります。
予測ができるからこそ会話が成り立ち、深いコミュニケーションにも成り得るのですね。
予測が「理解できる」「話せる」、そして「聞ける」ということを生んでいくわけです。
昨今、この予測が立てにくくなっている世代が増えていっていると思われてなりません。
本土の人全体にも言えるのですが、特に都市の若い層に顕著なんです。
 最近よく聞くことに「付き合い悪いんだよね」があります。
学業や、仕事が終わっても直ぐに帰ろうとするらしいのです。
つまり会話する機会をつくらないのですね。
自分の世界に閉じこもりがちな人種が増えているという訳です。
これではコミュニケーションも脆弱になるのは当然です。

 西洋音楽の神髄はアンサンブルにあります。
「合わせ」ですね。
ピアノと歌、または楽器。
オーケストラも合唱もすべてアンサンブル(一緒に協力して演奏すること)の上に成り立っています。
アンサンブルは「聴き合う」ことから始まります。
相手の奏する「音言葉」を聴きながら互いに会話するように音楽を紡いでいく、それが「合わせ」を基本とするヨーロッパ音楽の核心なのですね。
 音楽において大切なこと、その核心が「聴き合える」人同士となる、ということだったのですね。
先進国の社会ではそのことの上に成り立っているように私には思われます。
 ひるがえって日本の現代社会、それは「聴き合うこと」の難しさで溢れています。
会話が少なく、人の話を聞くのが苦手。
ですから喋ることも要を得ない。
日々、会話をいっぱい交わしたいですね。機会を作りたいですね。
そして「聴き合える」人同士になりたいですね。





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