八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.26


【掲載:2014/03/16】

音楽旅歩き 第26回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[音楽の歴史の中、私は今どの位置にいるか]

 戦後4年目に生を受けました。
戦争を知らない世代、それが今年で65歳となります。
生まれた家にはその頃珍しかったピアノが応接間にあったのをうっすら覚えています。
鍵盤を背伸びして押さえていた記憶もあってその頃はきっと我が家は羽振りも良かったものと思われます。
 両親が沖縄から出てきたと知ったのはずっと後のことでした。と、書き始めましたが自伝を書くわけではありません。
人類における音楽という、長く、幾つもある歴史の流れの中で私はどの位置に属し、今どの位置に居るかを書き留めてみたいと思って書き始めました。
それはまた、我が国の音楽事情、歴史、現状を知ることに通じ、そして八重山音楽の存在意義にも触れることになる筈です。

 私が作った音楽団体は「大阪コレギウム・ムジクム (社)」といいます。
難しい名前だと皆が仰います。
この、コレギウム・ムジクムとは古くにドイツのライプツィヒ大学で始まった音楽集団のことです(ラテン語です)。
その名を取って大阪で組織する音楽団体という意味で私が名付けました。
 その中には合唱団「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」が含まれます。この合唱団の活動は我が国の音楽文化最先端を行くものの一つとして受け入れられてきました。
1998年には文化庁芸術祭音楽部門優秀賞を受賞。
これまでにCD30枚を出版、常に注目され、自画自賛のようで恐縮ですが現在に至るまで多くの方々から高評を得ています。

 ハインリッヒ・シュッツとはドイツの作曲家で1585年に生まれました。
有名なJ.S.バッハ(1685-1750)のちょうど百年前になります。
シュッツはドイツ音楽黎明(れいめい)期を作り上げた作曲家、「ドイツ音楽の父」と呼ばれる重要な作曲家として尊敬されています。

 私の音楽歴は歌に始まったといえるでしょう。
幼い頃から人前でよく歌わされましたね。
歌えば褒められ有頂天、随分とご近所では有名人だったと思います。荒城の月が得意でした。
小学校3年生までのことです。
歌に始まったことは今思うに本当に良かったと思います。
歌心、そして早くも聴衆から受ける喜びも体験できたからですね。

 小学校4年生になって器楽へと進むことになります。
なぜか抜擢されてのデビュー。
打楽器、特に小太鼓とティンパニーでリズムを叩き込まれました。
小学6年生、関西という地域ではありますが有数の演奏校で演奏歴を重ねます。
 それ以後、私の日々は音楽漬けとなりました。
アンサンブル、いわゆる合奏の世界に取り憑かれてしまったのですね。
一人で演奏する歌、そして一人では味わえない音楽の喜びを合奏で知る、そのような毎日でした。
後にプロとしてのパイプオルガン奏者になるのですが、そのテクニックの基礎であるピアノ演奏にあまり興味を持たなかったのはそのような経験があったからだと思います。
1949年から1961年、昭和24年から昭和36年の時代でした。
(この項続きます)





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