八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.35


【掲載:2014/07/20】

音楽旅歩き 第35回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[音楽の歴史の中、私は今どの位置にいるか(10)]

 西洋音楽史と私自身の音楽歴を重ねながら、音楽とは何か?音楽はどのように流れ、何処へと向かおうとしているか?それを考えて見たいとの思いで始まったこのシリーズも今回で10回目。
一応区切りとしましょう。これまでをまとめます。

 日本でクラシック音楽をするということは幾つものハードルがあるということ。
音楽には大事な要素があって、それは「リズム」「メロディー」「ハーモニー」なのですが、どれをとっても西洋文化から遠く離れた感覚の日本人です。
強いていえば、この中で「メロディー」は演奏も併せて素晴らしい感覚をもっているかもしれません。
 リズムは真逆のもの(西洋は馬と踊りの弾み系、日本はすり足による農耕系)、ハーモニーはそもそもドミソのハーモニーを作り出せない音構成になっています。
ですから時代が遡(さかのぼ)れば遡るほど私たちの耳も身体も西洋のものとはかけ離れていたと言えます。
しかし、日本人の好奇心は西洋文化に憧れ、追いつき追い越せとばかりにそれらを吸収し、見事に表面上は目的を果たしたかのような現代になりました。(若者が中心で、生活環境の変化によってまだまだ一部でしょうが西洋的なものになってきているように感じます)
 私もその一人として、音楽家としての活動を始めるに当たってドイツ音楽、特にバッハの演奏を目指してその100年前の作曲家ハインリッヒ・シュッツから勉強を始めました。
合唱団を創り、その中でリズムとハーモニーとメロディーを徹底的に西洋化することを心がけました。
そしてその成果を試すためにドイツへと演奏旅行を敢行。
結果は「日本人がここまで我が国の音楽を体現できていることは驚異というほかない」と、行く先々での新聞に絶大な評価を頂きます。(その成果は新しい発声法、アンサンブル法をも産み出すことになりました)
 しかし、併せて大きな示唆も同時に与えられます。
つまり、演奏者の足許の音楽、日本文化に根ざした音楽を余りにも置き去りに来てしまったことに気づかされたのでした。

 少しは変化もしている我が国の音楽教育ではありますが、クラシック(古典派・ロマン派)を中心に据えていることは今も変わりありません。
ジャズやポピュラー音楽、他国の民族音楽を学べる所が増えてきたのは歓迎すべきことなのですが、肝心の我が国の伝統音楽を組織立って、広範囲に誰でも学べる場所はそう多くはないのが現状です。
理想的には、学校で教えたり学ぶといったものでなく、本来的な生活に密着した形で伝統音楽を残していく、これが私の理想とする音楽観です。

 私たちを取り巻く「音響」にも注意を払わなければなりません。
押しつけがましく、いつも緊張を強いて耳を覚醒させようとする商業主義的サウンドだけでなく、耳と心に優しい自然に根ざしたサウンドも継続する。
心を音にする。生活を音にする。
そのような歩みを展開していきたい、それが私の音づくりとなったのです。
(この項終わり)





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