八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.36


【掲載:2014/08/03】

音楽旅歩き 第36回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[「音、声、耳」の不思議を知って、更に世界は広がる]

 私の音楽歴とその志向をこのコラムで書いてきました。
洋の東西、真逆の文化で悩みつつ、西洋化が進んだ我が国で演奏活動を続けることができ、日本においても、またヨーロッパにおいても高評価をいただいていることはとても幸せなことです。
振り返れば、奇跡の軌跡だと書いてくださったある音楽評論家の言葉もうなずけます。

 音楽は世界を結ぶ共通語です。文化の違いがマイナスではなくプラスの要因として、世界中の人々が持つ共通の感情、思いを繋ぐという重要な働きを担います。
 音楽って不思議です。神秘に満ちています。
しかし考えてみれば音楽を生み出す「音」はただの「空気の振動」なんですね。
音の振動が空気の波となって空気中を渡り、それを素晴らしい能力を持った「耳」が受け止め、そして脳に働きかけて音楽として感じる。そのプロセスだけです。
とてもシンプルです。
それによって様々な感情の襞(ひだ)が与えられるのですが、そのメカニズムの単純さ、仕組みに感動します。

 耳について少し興味ある話をしましょう。
耳はもともと外敵から身を守るために発達した器官です。
ですから外から聞こえてくるものに対しては、それがどういったものかを判断するためにどんな小さな音も見逃しませんし、距離や方角を独自に測ることもできます。
身辺に存在するものは何者か?敵か味方か?もし、敵ならば何処に向かってどのぐらいの速さで逃げればいいかを判断するわけです。
 この耳、このように外の音を聞き分ける能力は発達したのですが、そのために自身の音を聞くことに関しては少し苦手なものになりました。
初めてテープレコーダーなどで自分の声を聞いた時、すごく驚きませんでしたか。
「こんな声だったんだ」と仰天された方が多いと思います。
自分がどのような声を発しているか本当はよくわからないのですね。
 また、音の大きさの判断も曖昧です。
いやどちらかと言えば鈍感かもしれません。
これは防備上の処置でもあるのですが、一定の大きな音が続くとその大きさを感じなくさせます。
脳は、音が数十秒間伸ばされると、その音から注意を削ぎ、大きさの感覚を減少させます。
次に訪れるかもしれない突然の変化に興味を持たせようと備えるわけです。
全ては危険を避けるための自己防衛なのですね。

 毎年、夏の行事となっている「発声講座」。
文化の違いを越えて最も完全な楽器である「声」ついて、東京、名古屋、京都で解き明かそうと開講します。
「声」「音」そして、「耳」と情報処理をする「脳」の不思議の体験です。
 ヨーロッパで育まれた心地よく耳に響く声を基盤にしながら、その発声法が、真逆の東洋の文化にも適応できるものであることを紹介したいのですね。
洋の東西をコラボさせたいわけです。
音の不思議と神秘の世界を知って、その原理を活用すれば更なる声や音の世界が広がります。
大袈裟でなく、奇跡が起こるわけです。
人と人とが繋がる奇跡の技として。
(この項つづきます)





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