八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.50


【掲載:2015/03/08(日)】

音楽旅歩き 第50回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【作曲とは過去に倣い未来を切り開く営み】

 地球の歴史からみれば人類の歴史など一瞬の間の出来事。地球が誕生した46億年前を1月1日とし、現在を12月31日とするカレンダーを作れば、何と人類の誕生は1年目を目前とする6分ほど前だということを以前に書きました。本当にまだまだ全くの短さにすぎないということですね。
 現在の目でみれば我々は人類の歴史は長いように感じてはいますが、地球の歴史からみればまだ先は遥かに、遙かに長いということです。ただし、これは地球がなくなるまでという条件付きでですが。
宇宙の歴史を思えばやがて地球が消滅することは間違いないでしょう。
でも人間が人間自らの手によって宇宙の法則よりも早く地球滅亡へと至らしめることがあってはなりません。
私は「地球の一生」を省(かえり)みるごとに強く祈りたくなります。歴史とは一人一人の人間の、思いの発露ですから。
極々短い人間の歴史ではありますが、未来を見据えて、営みは先人に倣いながら、地球滅亡を早めるような過ちを起こさないよう、理性と人知をもって未来に向かって前進していきたいですね。

 人間の歴史では音楽との関係は濃密です。
人間の歩みにとって無くてはならないもの、居なくてはならない心の友でした。
自然発生的に生まれた歌やリズムは、人間の精神面に於いてどれだけ心を鼓舞し、慰め、励ましてきたことか。
人間は音楽なしでは人間として進化しなかったのではないかと思います。

 音楽を生業(なりわい)としている私はその音楽を過去と未来を繋ぐ架け橋にしたいと思っているようです。
指揮活動での演奏は真にそのアプローチですし、そして作曲を通しての行為は自らの思いを歴史の中で繋ぐことにあります。
和歌に曲を付け、唱歌や童謡を編曲し、消え去ろうとしている歴史ある歌を先人の心として受け、そして私の思いも携えて未来へと渡す。
その魅力は計り知れないものであると判るのですが、その創作そのものは実に悩ましく難しいものだとも知ります。

 作品が持つ風情が過去の作品のコピーでは意味がないと思います。
また新しい表現だとして私の個性だけの世界で創られたものも意味がないと私は思っています。
未来へと受け渡す音楽、それは本当に難しく、そして深く悩ませるものなのですね。
 しかし、その対象が「子守歌」だと私の心が叫び始めたとき、何故か動き始めました。
日本各地にある子守歌、もちろん沖縄や八重山の子守歌も含みます。
子供を寝かせるための歌、子守が歌う切なく悲しい子守歌、その背景には歴史が色濃く残っています。それらを未来の人々とも繋ぐハーモニーやリズムで描く、それをやってみたいと思いました。

 地球の歴史からみれば人類の歴史など一瞬の間の出来事。
その間を永遠へと繋ぐもの、大切な命の心を繋ぐものだと信じて、「子守歌」の世界を描こうと思っています。
命を考える、命の重みを考える、人の命の歴史を展望する、そのような営みになれば良いのですが。





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