八重山日報コラム
一日を通じて人はどれほどの「響き」を聴いているのでしょう。
朝、目覚めれば木の梢で鳴いている鳥の声でしょうか。それとも家で飼っている動物でしょうか。波の音かもしれませんし、風の音かもしれません。
そして間違いなく聴いているのは人の声、様々な響きの声です。ただ「響き」といっても人は全体の「印象」を聴いているかもしれませんが。
いきなりの本題に入るのですが、響きというのは厄介で曖昧です。
普段は部分的に突出した特色をもって「響き」と言うことが多いのですが、音楽的に表現するならば声(音)の色、高さ、大きさ、長さ、反響、といったものの綜合を言うのですね。
人間は音を楽しみます。耳(その器官)が貪欲に音を欲しているからですね。
空気の中で生きている限り人の回りには音、すなわち様々な響きが溢れているわけです。
人間を取り巻いている響きを考えてみたいと思いました。
それを考えることによって音(響き)に対してどう関わっていくべきかが判りますし、人間が歩んできた歴史の中の「暮らし」も見えてきます。
難聴といった聴覚に不自由さを持たれている方々にも、またそういった方々と接する人たちにも、音を楽しむにはどうすればよいかとのヒントもあるかと思っています。
これから何回かにわたって、耳をつんざくような雷やジェットの音から、木々の葉が擦り合わさったようなか細い音まで、ありとあらゆる響きを見ていくことにします。
第一回目は拍手といきましょうか。
皆さんは拍手をするときにどのような音を望んで叩きます?
両手の指を合わせて叩きますか?手のひらを十字に交差させて叩きますか?
大きくデカイ音?それとも美しく良い音?張りのある音?
〈そんなこと考えたことなく手を叩いている〉、多くはそうだと思うのですが、私など叩くとき少しこだわって片面をドーム(円蓋〈えんがい〉)にして叩きます。
低く鈍い音になるのですが落ち着いた音で気に入っています。叩く面が平べったいとある程度の大きさを出すには強さもいりますし、音も堅く乾いたものになってしまうからなんです。
ところで、拍手はどういった時に用いるのでしょう。
一般的には称賛・賛意・歓迎・喚起・感激・感謝といった意味の感情を伝えるために叩きますね。
今日では演奏会や講演会など人が多く集まる場所で用いられることが多いですが、明治以前の日本にはそういった習慣はなく、雅楽、能(猿楽)、狂言、歌舞伎など観客は拍手しなかったらしいです。
明治時代になってから西洋人に倣って「マナー」として拍手の習慣が広まったものと考えられています。
神を拝するときの拍手もあります。
これは〔かしわで〕〔開手(ひらて)〕とも呼ばれるのですが、その作法には幾つかあって意味や響きを大切にする習慣が今日まで伝わっています。
拍手は身近な響きです。次回からそれらの響き、楽しみ方へと迫っていこうと思っています。
(この項続きます)