八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.57


【掲載:2015/07/26(日)】

音楽旅歩き 第57回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【人の暮らしは響きの歴史(その3)】

 先日、演奏会の中で太鼓を叩く大音響をホールに響かせました。
団扇(うちわ)太鼓に大太鼓。圧倒される存在感を持つ両和太鼓です。
弦楽器や管楽器、そして声の響きに馴れた耳にとって、打楽器のあの空気を裂いてくるような響きはやはり特別の強烈な印象を残します。
 中でも日本の太鼓は格別です。その圧倒的な音の存在は何ものにも屈することのない強靱な猛者(もさ)のようでもあります。
その団扇太鼓と大太鼓を響かせたわけですから、温和(おとな)しいクラシックの聴衆はさぞかし驚いたに違いありません。

 演奏した曲は宮沢賢治の「心象スケッチ」に映し出された陀羅尼(だらに)と「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」で、そこにリズムを刻む「打ち物」として登場します。
 千原英喜作曲「祭日」では母親たちが子どもの病気平癒(へいゆ)を祈願して毘沙門天へ参詣(さんけい)する読経と共に打ち鳴らす団扇太鼓。その祈願の一途さを表すにはやはりこの太鼓でしょう。
 また、同氏による「種山ヶ原の夜の歌(異伝・原体剣舞連)」では鎮魂の舞である「原体剣舞連」が現れ、大太鼓が魂を打ち、鼓舞し、乱舞する歌い手を忘我の境(きょう)へと導きます。

 鎮魂といえばエイサーですね。打ち鳴らされるパーランクーや締(しめ)太鼓、大太鼓はまさに魂を励まし奮い立たせるための「打ち物」です。若者のエネルギーを受けとめ、発揚させ、祖先の霊を送迎するのに最も相応しいものですね。古くは、戦場で進退を告げるために「鼓打(つづみうち)」と呼ばれる役人によって打たれた太鼓。
現在は盆の時期に人の魂を奮い立たせて死者の霊を鎮めます。

 童話作家、詩人である宮沢賢治の作品を題材とする曲は私のライフワークとなっています。難解ながらも擬声音によるリズムを巧みに取り入れた彼の詩は小気味よい文体の調子と相まってとても音楽的。彼の時代、彼の生きざまは私にとってとても魅力あるテーマのひとつです。その彼が法華経を強く信仰した者としても知られています。
 晩年には(とはいっても短い37年の生涯)その信仰にも迷いの陰りを見せているという説もあるのですが、純粋で一途な性急さ、妥協を許さない潔癖(けっぺき)さゆえ「南無妙法蓮華経」と読経しながら町中を歩き回ったという彼の姿は私の心に痛烈に迫ってきます。
 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と書いた賢治。「幸せとは、皆が幸せであってこそ成り立つ」の信念が私の心を突き刺すのですね。

 余談ですが、この「南無妙法蓮華経」、二拍子のリズムが多い日本では珍しく三拍子で唱えられます。「南無妙(なむ・みょう)」の2拍と「法蓮華経」の4拍を合わせた六拍子が、「南無妙」「法蓮」「華経」それぞれを1拍とする三拍子で唱えられます。団扇太鼓がこのリズムで打たれるわけです。

灼熱の夏に響き渡る太鼓の音。魂ほとばしる「日本の響き」です。
(この項続きます)





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