八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.71


【掲載:2016/02/28(日)】

音楽旅歩き 第71回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【美しい響きを求めて見果てぬ夢を夢見る】

 前回は音楽ホールの「響き」について書きました。
書いていくなか、少し気になっていることがありました。私が書いた事情は大阪や名古屋、東京などにある音楽専門のホール(音響重視の設計)の話。
そして現在では地方にも驚くような素晴らしいホールが建つ時代になっているという前提での話でした。
しかし、この石垣島には残念ながら音楽専用ホールはありませんし、生音でも良い響きのする器(ホール)を私はまだ発見できないでいるにもかかわらず、「響き」に関して先走り的な意見を書いてしまったかもしれない、とそれが気になっていました。「良い響き」とはどういったものかをまだ共有できていないかもしれないのですね。
 響きの好みは人それぞれに異なります。
本音を言えば、作られた音響ではなく自然音だけで暮らすのが一番だと思っているのですが、自然音の中にある美しい響きを取り出して聴く、ということもまた生活の中にあって良いかもしれないと考えます。

 その例を私は西洋に求めるのですね。人々が美しい響きを求めて集まるホール、名高い響きの良いホールはある条件を備えています。
それは、沢山の観客や聴衆がステージで演じられている音をどの席であっても同じ条件で観ることができ、また音や声も明瞭に美しく聴き取れること。これがホールにとっての必要最小限の条件です。
ホールの原点とされる古代ギリシャの円形劇場など、当然ながら電気による拡声器を使わないでもコロスと呼ばれる合唱隊の言葉がはっきり聞き取れる素晴らしい音響でした。
そのような劇場を作る知恵を持っていた西洋に対して、我が国ではその必要性を早くから感じ得なかったのか、沢山の人々が美しい響きを聴く場所を作ってはこなかったのですね。
それは、結論的にいってしまえば、声や音が反射によって響きが豊かになるという体験がないということです。
もし仮に、わずかながらも小さな響く場所、広場があったとしてもそれらの条件を拡大しながら大勢の前で演じ、喋り、歌うという劇場型には我が国は発展しなかったわけです。
地声が聞こえる範囲での「小屋」で充分だったということです。
ギリシャ劇場では半円形ステージ(オルケーストラ)に50名ほどが演じることのできる広さがあり、丘の斜面を利用した観客席は14,000人を収容できたといいますから、驚きの数、そして建築物です。

 私は夢を見るのですね。美しい響きを求めてこの八重山に人々が集まってくる場所を。
「バンナ岳森林公園」にたたずむ、研修・練習・合宿もできる劇場(音楽専用ホール)つき施設。それは「美しい音響」づくりを体系的に体現できる場所となっていて一年を通じて老若男女が賑わしく行き来している。
 自然音に満ちた森のなか、人間が求める豊かな美しい響きを研究し、錬磨し、そして堪能する。
そこで生まれた素晴らしい「人間の響き」が未来へと向かって勢いよく放たれる。そんな「見果てぬ夢」を毎日のように夢見るのです。





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