八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.73


【掲載:2016/04/03(日)】

音楽旅歩き 第73回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【人の暮らしは響きの歴史(その17)】

 今、私の部屋には武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」(英:A Flock Descends into the Pentagonal Garden)、そして「遠い呼び声の彼方へ! 」(英: Far Calls. Coming, Far! )が 静かに流れています。
 無性に武満を聴きたくなりました。日本が生んだ世界的な作曲家、武満 徹。
今年没後20年を迎えます。2曲ともオーケストラの曲です。
「鳥は星形の庭に降りる」は1977年、「遠い呼び声の彼方へ! 」は1980年に作曲されたのですが、主にアメリカやイギリスなど日本国外で数多く演奏され人気を博しました。
緻密な楽譜、数的な構成、それらが生み出す音響がとても「日本的」な「響き」だと評価されてのことですね。

 武満氏のデビューは前衛作曲家として始まりました。いわゆる不協和音が連続する「良く判らない音楽」という〈あの種の〉音楽です。
それが「遠い呼び声の彼方へ! 」を作曲した1980年頃から前衛的な音響が影を潜め、和声的な豊麗の響きのなかに「歌」を志向する作風へと変化していくのですが、その響き世界、変化を今日は聴きたくなったのですね。
 氏が作り出す音楽は「響きの魔術」だと私は呼びたいですね。私はそれらの響きを西洋的な音楽の一種と聴くのですが、西欧の人々はこれらの響きを日本的だと感じ、東洋的な響きとして酔いしれているようにも感じられます。日本の音楽史上それまでになかった現象でした。
しかしこれは、グローバルな響きとして価値を持った希有(けう)な音楽、と言ってよいかもしれません。
 晩年の氏は「歌」志向が一層強くなっていったようです。そして調性的な作風に変わっていき、それまで取り組まなかったオペラの作曲に意欲を持たれたのですが、癌に阻(はば)まれそれは完成することなく1996年2月20日にこの世を去ります。

 武満 徹によって、日本古来の楽器による固有の様式や響きの音楽でなく、ヨーロッパの楽器、オーケストラを使っての音楽によっても「日本の音・響き」が表現できるのだとの証明が成されたのですね。
ただし、これは西欧の人たちが鑑賞する場合の感覚。それと比べれば、日本人にはそれほど「日本的」だとは思われなかった、いつも書くことですが、日本が持つ複雑な文化様相の表れです。
 氏は外国では国賓扱いの待遇、しかし、日本では冷遇とまではいかないけれど決してその業績に見合った厚遇であったとも言いがたい、充分に理解されることのなかった対応であったとは言えます。

 このコラムで書いてきているように、「響き」の感性は国によっても、民族によっても、時代によっても異なるもの。
そのように大きく異なる文化の間(はざま)で氏の音楽が成した架け橋としての功績は偉大であったと、今更ながら思い知らされる氏の音楽でした。
 今、部屋での音響は止まり、静けさの余韻が残っています。
(この項続きます)





戻る戻る ホームホーム 次へ次へ