八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.140


【掲載:2019/5/26(月)】

音楽旅歩き 第140回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

「古希」、70歳ならではの音楽(歌)を奏でたいと思います

 このコラムを書いている昨日(6/20)、私の古希の誕生日でした。
70歳になったのですね。早いものです。
合唱団のメンバーが集まってささやかな「誕生パーティー」を計画してくれました。
私、少しあまのじゃくのところもありますから、「70歳を祝う?それってさてどうなんだろう?」なんて思う気持ちもあり、余りはしゃぐ気持ちにもなれずお店に入ります。
少し遅れたものですからメンバーは既に席に着き待っている状態。
不思議なものですね。その皆の顔を見て一気に「華やぐ思い」にスイッチが入りました。
乾杯をしてからこれまでの様々な演奏会での記憶がよみがえりました。
私の活動は「奇跡の軌跡」だと、ある音楽評論家に書かれたことがあるのですが、振り返れば本当にそのような人生、そして活動だったと私自身再び納得できる記憶の流れです。
周りをぐるっと見回しながら改めて共に歩んできたメンバーに感謝の気持ちが湧いてきました。

 先ほど、TVで「沖縄民謡」のドキュメンタリー番組が流れていて興味深く観ておりました。
随分前に放映されたものらしく、その再放送でした。
「沖縄」と大きく括(くく)ってしまうことに違和感を覚えますが、本島から各島々の歌まで一定の時間を保ちつつ上手くまとめられて収録されていましたから見応えのある内容にはなっていたと思います。
当たり前の事ですが、歌われているものは「生活」の歌ですね。
神に対して歌われるもの、また四季折々の祈り歌、祝い唄。望郷の歌、恋の歌、恨み節もあります。
実に生活に根ざしたテーマによる「心の歌」「魂の歌」で、どんどんと引き込まれていく世界がそこにあります。
ゆったりとした曲調、大らかながら諭(さと)し、〈訓(おしえ)〉の歌、踊りを前提としたリズミックな歌。
それらが三線と太鼓を率いて、ささやかれ、また絶叫され、そして深く強く海の彼方へと向かうがごとく豊かな声量で歌われる。
それはもう誰も引き裂くことの出来ない強き精神(魂)の歌の世界です。

 そういえば、楽器が用いられない歌の紹介もありました。労働歌ですね。畑仕事では楽器は持てません。
それらの歌は代々、おじぃやおばぁから教えてもらった歌でしょう。歌うことで辛い労働も軽くなったとのコメントもありましたね。
私自身のことになりますが、私も幼い頃からよく一人で歌っていたようです。
楽器がなくとも、即興で歌詞をつくり鼻歌で、あるいは周りも見渡して誰も居ないことを確認すれば大きな声で歌っていたそうです。
私なりの、その時代だけの生活の歌です。
母親が同じように歌っていたと聞いたことがありますから、きっとそれを私が真似たものだったかもしれません。
〈沖縄の血〉をそんなところにも感じてしまいます。
少し休みたいところではあるのですが、スケジュールは先に続いて書き込まれています。
今暫くは休みが取れそうにはありません。
「古希(古稀)」、70歳。その故にこそ、仕事を!と心引き締めています。





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