八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.146


【掲載:2019/10/27(日)】

音楽旅歩き 第146回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

〈空気を読む〉とは空気を感じ、動かすこと

 今でも言われているのでしょうか?〈KY〉という言葉。
この隠語ともとれる言葉はあまり良い意味では使われてはいませんでしたね。
〈KY〉、いわゆる「空気〈K〉を読〈Y〉めない人」ということで使われました。
ある解説によると2006年頃に女子高生言葉として使われはじめたそうです。
その経緯は私にははっきりしませんし「本当かな?」とも思うのですが。
その真偽のほどは解りませんが、「空気が読めない人」とは、その場の雰囲気を推察することなく何をすべきかすべきでないか、
相手の欲していることか欲していないかを推し量って判断できない人のことを言ったのですね。
この言葉を強く言う(発音する)と、「空気を読みなさい!」との忠告ともなりました。

 この意味をテーマにすれば面白いことが浮かび上がってくるかもしれないとも思ったのですが、今日はそのような意味合いでなく、
音楽における「空気を読む」ということについて書いてみたいと思います。
昨日、「マンスリー・コンサート」がありました。
月一の演奏会はなかなかスケジュール的にも(練習回数など)厳しいものではあるのですが、
器楽の「シンフォニア・コレギウムOSAKA」と声楽「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」がそれぞれにプログラムを割り振ることができていますし、
常連のお客様もお出で下さっていますから続けられてきました(今回は437回目の演奏会)。
この演奏会を通じていつも気付かされることがあります。
それは「音楽とは空気を読み、感じ、そして揺り動かし、その空気を一緒に呼吸することだ」ということ。
「空気が見える」と人は言います。
私も見えます。
集まって下さっているお客様から放たれている〈気〉が空気を見えるものにしているのでしょう。
演奏する前から見えますし、曲を演奏し終えるたびにその空気の色が変わっていくのも見えます。
不思議ですが、見えるんですね。
演奏者も演奏しながら見えているはずです。
「空気が見えた」、その演奏はきっと良い演奏なんだと思います。
空気を見る私が奏者(唱者)との間を繋ぎます。
揺り動かすきっかけは多分私でしょう。揺り動かせたならば、あとはこの三者が思いっきり会場の空気を堪能すれば良いわけです。
身勝手な言い方かもしれませんが、音楽以外の分野で会場の空気を動かすってことは難しいことのように思います。
話し言葉だけでも、身体の動きだけでも、または展示されたものに依っても動かせるとは思うのですが(それを感動と呼びましょう)、
音楽は空気そのものに働きかけて聴衆に向かって動かしていくわけですから直接です。会場に居る全ての人たちにダイレクトに迫ることができるのです。
空気を物理的に振動させてしまうのですからね。温度、湿度、気圧などに左右される空気ですが、日常では余り意識することがありません。
地球温暖化が語られています。
今だからこそ、なくてはならない〈空気〉に関することを考えてみたいと思いました。





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