八重山日報コラム
不登校や会社に行けない人が増えていると聞きます。いわゆる「引き籠もり」です。
【掲載:2025-10-05 (日)】
音楽旅歩き 第259回
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 當間修一
【「引き籠もり」を考えればキーワードは「柔軟に」です】
この問題、私にとっても他人事でなく、「心配」と感じる人が多くなりました。
それを引き起こしている原因がこのご時世と関連しているだろうとみるからです。
この世を覆っている〈価値観の倒錯〉や〈生き辛さ〉による不安感や、何かしら襲ってくる閉塞感でしょうか。
ですから、以前から懸念されていながら、いまだにその対処の難しさがつきまといます。
当人も苦しんでいるのですが、周りの人たちの理解も追いつけなくて同じ苦しみを持ってしまう。
本人は本当は何が原因なのか解っていないのかもしれません。ただ「出掛けたくない」「外には行きたくない」「人と会いたくない」気持ちを押さえようがなく自身を強く自身の中へと閉じ込める。
世の中、「不登校がいけない!」「会社に行けないとは何たること!」という思い、価値観がずっしりと蔓延(はびこ)っています。
世の中に浸かっている者の側からすれば、始めは不登校や欠勤者への〈戸惑い〉であったでしょうが、それが〈苛立ち〉へと変化し、つい大きな声で詰問(きつもん)してしまう。更に〈戒(いまし)め〉とか〈説得〉〈導く〉との思いも重なって当人を追い込んでいく。
世の構造が大きな足枷(あしかせ)となって当人への「弱い者いじめ」が派生していく。
カウンセラー的に言えば、当人が背負っている世の中の価値観という重圧を軽減させてあげなければならない。
〈不登校や欠勤を責める〉をその人のために止められますか?それが問われています。
考えてみれば、理不尽な事です。本人が助けを求めているのに、助けるどころかもっと悩ませ、苦しませてしまっている。責める人もきっとそれまでに同じ思いや逃げたくなる事だってあった筈なのに。
寄り添い、信頼をつくるには、実は取り巻く人々こそがこれらを柔軟に理解して、この社会の価値観から抜け出せるかどうかに掛かっている。
責める人は知らず知らずのうちに現在の〈ある価値観〉を押し付けているのでしょう。
引きこもる当人に取ってみれば、その思いから逃れたいけれどどうしても出来ず、こもり、外に出られなくなる。誰もその気持ちを理解してくれない。だから引き籠もらざるを得ない行動を取ってしまう。
「ああ、そう、じゃあ休めば」と何も聞かないで受けとめてあげれば良いのです。これが第一歩です。本人も「いけないこと!」と薄々解っているのですから、そのうちに何か行動に移してくると信じてあげる。そのことから始めれば良いのです。人間自身が持っている「治癒力」を信じることでしょうか。
世の中には理解出来ないことが多すぎますね。だから不安になる。疑心が生まれる。
「あのようにすれば、こうなって、あれに繋がり、目的が見える」、夢が生まれ、希望が湧き、生きがいができる。そんな道筋は今あるのでしょうか?何処も薄暗く、靄(もや)がかかり前方が見えない。キーワードは「柔軟に」ですかね。