つれづれ

もはや「秀才」を集める大学は必要ない?

先日、京大入試の数学が革命的に易化したことを書きました

かつて、京大入試の数学といえば、センス溢れた良問や、「秀才」の生徒が挑むにふさわしい問題が多く、京大が優秀な学生を惹きつけてきた一因になってきました。
実際、「この問題は、受検生の100人に1人も解けないのでは?」という問題も出題されていたものです。しかもそのような難問こそ、実に美しい問題であったりして、学生は必死になって解き、能力をさらに開花させる。

京大入試の数学は近年簡単になっていたとはいえ、今年、とうとう、良問も難問も消え去った。
数学に魅了され、そして能力溢れる学生はどこへ行けばよいのでしょうか?
来年以降、どのような問題が出題されるか分かりませんが、私は心配です。

もっとも、そのような優れた学生を見なくなったという話も大学、予備校、高校、学習塾の現場から聞きます。今、10年20年前の京大入試の数学を、自力で解き始める生徒はもうほとんどいないのか?
もはや、かつての京大のような大学は必要ないのかもしれません。
それが正しい流れなのか、間違った流れなのか、結論は急がない様にしますが。

力のある学生はどこへ行くのか?

そういったことを考えながら、「力のある学生は、どこへ進むべきか?」と考えてみました。

たとえば、次のようなことを考える高校生は、僅かですがいるでしょう。

受験勉強を終えた大学生が勉強をやめて遊びふけるらしい。
しかし、それは何かおかしい、今の高校の勉強は何?受験勉強は何?必要悪なのか??そして大学に入ったら勉強をやめる?勉強ってそういうものなのか?それが普通なのか?
そして私は普通の大学生になりたくない!!

また、「私は○○の学問を究めたいんだ!!どうしたらいいんだ!!」という高校生も、日本全国探せば必ずいます。

もちろん、「私は周りに流されないでやっていく」とも決意するでしょう。しかし一方、賢い高校生なら、それがいかに難しいことも分かるでしょう。また、勉強にふさわしい環境に身を置く方が良いことも分かるでしょう。大多数が勉強しないなら、自分もやはり流されていくのではないかという不安も感じるでしょう。また、自分が孤立していくことに不安を感じる人もいるでしょう。

(幾分、単純化した書き方をしておりますが、ご容赦ください。)

そういう高校生は、どこへ行くべきなのでしょうか?

力のある学生の進学先

まず0番目の選択肢は、大学へ行くことです。ある意味、普通に割り切って大学へ行く。周りに流されず、しかし周りからも孤立せず、勉強を進めて力を付ける。
一つの選択肢です。その決断も、とても大事です。

しかし、ここでは、日本の大学へ進学する以外の道を考えてみたいと思います。

私が考えた1つ目の選択肢は、海外の大学です。
これは、良く言われることですね。同時に、最近は、海外の大学へ進学しようとする日本の高校生が少なくなったという記事も、複数見かけます。

2つ目の選択肢は、大学に在籍しながら起業する。
これも、アメリカほどではないですが、日本にも相当数います。
具体的には挙げませんが、少し探せば、知名度のある新興企業の中には、学生起業があります。

3つ目の選択肢 〜 究極の青田買い、ないし、売り込み

そして、私が考えた3つ目の選択肢。
高卒で優れた企業へ就職しようとする。
既にこの選択をしている高校生、企業はいるかもしれません。私は知りませんが。
でも、今後この選択肢は増えるのではないかと私は考えています。

まず、企業の側から。
よく言われるように、文系の生徒は4年生の後に就職しないと、就職が難しくなります。理系の生徒は、4年生の後か、大学院へ2年通って修士(博士課程前期)を取った後に就職するのが普通です。博士課程を取得すると、就職するのが難しくなります。
採用する側からすれば、2年(ないしそれ以上)大学で研鑽を積んでくれるよりも、自分の企業で2年鍛える方が、結果的に優れた人材になると考えているのでしょう。

しかし、です。そもそも、その就職前の大学での4年間は、どうなのか?
大学に行かずに、うちの企業で4年鍛えた方が優れた人材ができる、そう考える企業、しかも優れた企業がいても、おかしくありません。

もちろん、採用された若者が望むなら、途中から、働きながら学位を取る選択肢を企業がサポートするのも十分にありえます。実際、ある段階以上は学位が必要でしょう。
そして、社会人が大学へ通うのも、今なら道はたくさんあります。


もし、高校生が自分を売り込もうと考え、そのうえで、上のように考える企業とうまく巡り会えば、次のような可能性もあり得ると思うのです。

「高卒で就職(採用)する。給料は安くて良いので育ててもらう(育てる)。そして、大学卒業の資格はほしいから、仕事をしながら大学へ通うことを将来的にはする(助ける)ことを、学生も、企業も、互いに約束する」

所得格差が広がる今、高校生の家庭の経済的な問題も絡めば、この話はいっそう、先へ進みやすくなります。
古くから東西を問わず、お金のある貴族や資産家などがパトロンとして、お金はないけど能力のある子供を支援したことがよくありました。養子縁組を組む場合から、純粋に支援のみを目的とし夢を託した場合まで、様々な形態がありましたが、それの現代版と言えるかもしれません。

5年も経てば、この流れが社会でも広く知られている可能性があるのではないかと私は考えています。

4つ目の選択肢、そして、大学の位置づけ

最後に、4つ目の選択肢を書きます。
それは、大学でも企業でもない研究機関へ、高校卒業後に「勉強・研究しに行く」。
3つ目の選択肢の「企業」をすべて「研究機関」に変えれば、この4つ目の選択肢になります。

でも、3つめの選択肢との違いは、経済活動を目的とする企業へ行くか、研究活動を目的とする組織へ行くか、ということです。後者であれば、企業でも構いませんし、NPOのような形を取っていても問題ありません。

もっとも、「研究活動を目的とする組織」が必要ではあります。そうした例が日本にはおそらくないでしょうし、海外にあるのかも分かりません(いつか、調べてみたいですが…)。

海外で、大学の講義がどんどん動画配信されています。勉強は意欲があればある程度まではできます。そうなると、大学の役割とは何か?
大学全入時代になった今、ある意味、若者の流れは硬直化しています。
良い意味で色んな事がゆらぎ始め、新しいことが始まるかもしれません。それを私は期待しています。

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Last-modified: 2011-05-04 (水) 11:32