八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.2


【掲載:2013/05/02(木曜日)】

やいま千思万想(第2回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[歴史を刻み生まれた歌]

世界には沢山の切なく悲しい物語、そしてそれを歌った悲歌が数限りなくあります。
私も古今東西の人が想う悲しみをこれまでに数多く振ってきました。
悲しみと共に底に流れている私の感情は「怒り」であったりすることもあります。
悲しみは何故起こるのか。悲しみを生み出すものに対する怒りなのでしょう。
音楽は表現する者の深いところの感情をえぐり出すことがあって、自分自身が驚くことも多いです。
指揮しながら私は泣きます。悲しいから泣くのか、怒って泣くのか。

 音楽は言葉を超えて感情に直接訴えかけることのできる芸術。
おそらく始まりは、鳥や獣の真似、仲間との伝達、そして驚きや喜びを共にする仲間同士のコミュニケーションだったのでしょう。
それがその後個人的な感情を表すものとして発達します。
悲歌とはその中でも、どうしようもない、やり場のない悲しい想いの中で生まれたのでした。
親や兄弟、友や愛しい人との別れなどを歌う悲歌にはそのドラマと共に、私には人同士を結ぶ深い心の源流があるように思えます。

 2年前、2011年4月、私の「石垣の山にも登ってみたい」との一言で連れのメンバーが車を出してくれました。
石垣は海と山の島です。山の頂上からの眺めもきっと素晴らしいものだと心も逸ります。
メンバー曰く、「登り口まで車で行って、そこから山頂まで20分ほどで行ける山が有ります」と。車は登り口へと着き、私たちは登り始めます。
しかし、どうも様子が変です。後10分ほどで山頂に着く?
印象的な大きな塔状の岩の頂はまだ遥か彼方。途中で気付きます、入り口を間違えたことを。
皆で笑いながら、赤土に足を取られ、急斜面でのロープに捕まり、結局一時間かけて頂上へと。

 しかしそこには素晴らしい景色が広がっていました。その山「野底マーペー」。
悲話が伝えられています。1700年頃、黒島で暮らしていた恋人同士カニムイとマーペーの悲恋の物語。彼ら二人を襲った制度「道切りの法」による強制移住、そして重税、疫病。
 恋人を慕ってマーペーが野底の頂に登ったものの於茂登岳に阻まれ、故郷黒島を臨めず絶望のあまり山頂の岩と化したという物語。
そしてその話には歌も付きます。黒島民謡「つぃんだら節」、民話の中で生まれた民謡。いい歌です。
 音楽には歴史があります。歴史を刻んで歌が生まれます。歌うものの息遣いに歌の魅力が溢れます。
自然に囲まれた八重山。
そこで営まれる人々の生活が歴史の流れと共に生き生きと伝えられ、歌い継がれている。
この島々は本当に稀有な、何処にもない「美し国」なのです。





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