八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.11


【掲載:2013/09/19(木曜日)】

やいま千思万想(第11回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[言葉こそが最も大切な精神の根っこ]

 「あんごー」と言われて一瞬キョトンとした私。
小学校1年生頃だったでしょうか。
父の仕事場があった岡山で近所の子どもたちから発せられた聴き慣れない言葉。
後で父から「それは、アホと言われたんや」と教えてもらって腹が立ったのを今でも懐かしく思い出します。
その後しばらくはいくつか岡山弁を覚えていましたが、今ではこの言葉だけが残っています。強烈な印象だったのでしょう。
「あんごー」とは「鮟鱇(あんこう」から発したものらしく、動作が鈍いところから、のろま、ばか、となったようです。
オオサンショウウオのことを岡山では「あんこう」と呼ぶこともありますから、どちらも「愚鈍(ぐどん)」の様からきた言葉だとする説があって納得ですね。

 人が日常生活で使う言葉って幾つほどあるのでしょう。
英語では2500語ぐらいで一応一般的な日常会話が可能だそうですから、日本語も同じぐらいで用は足せるかもしれません。
しかし、それだけでは人間の細やかでダイナミックな想いを伝えることができないのですね。
心の機微や生活の隅々まで表そうとすればいっきに何万語という数に膨れ上がります。
 「あんごー」が最初に出ましたから、その意味のことを続けてみましょうか。
あまり良い例ではないかもしれませんが、日常的に実は良く使う言葉ですし、奥が深そうですから続けます。
 大阪弁では「あほ」と言います。
その語源は戦国時代に中国江南の方言「阿呆」が伝わったという説から、ポルトガル語説など諸説あるようです。
「あほう」は情のこもったいい言葉です。
 東京などの「ばか」とは少しニュアンスが違いますね。関西で、微笑んで「あほ」といえば多くの場合包容力のある優しい言葉として響きます。
カップルでの彼女が彼氏に向かって言う「あほぉ」など、曰く言い難しの情感が漂って微笑ましいかぎりです。
 「あほう」が上手く使えればもう大阪弁は上級です。
本土のもう一つの方言勢力圏、尾張名古屋では「たわけ」が使われます。
親から受け継いだ田んぼを子ども同士で分け合えば無くなってしまうバカげたこと、というのが語源だそうです。
これらそれぞれの歴史的な流れもあって、言葉は文化だと再認識させられます。
 八重山ではフラーでしょうか。語源は何でしょう。
言葉は話す者の歴史、根源に基づくもの。ですから精神をしっかり支え、構築していきます。

 言葉こそが人間の最も大切な精神の根っこでしょう。
脈々と繋いできた文化としての言葉を絶ってはなりません。
歴史の流れで変化していくことがあっても精神の拠り所として生き生きと話されていた古い言葉もまた伝え継承しなくてはなりません。
そうでなければ民族としての根っこが失われてしまうのです。
沖縄では「しまくとぅば」の日 が設けられています。
そして八重山では私の大好きな「とぅばらーま」、その大会が開催されます。
沖縄の、そして八重山の精神を誇り高く語り、歌い放とうではありませんか。





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