八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.71


【掲載:2016/02/11(木曜日)】

やいま千思万想(第71回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

「人」が音楽をつくる「音楽」が人をつくる(9)

 このコラムでは私が主宰する二つの団体、室内オーケストラと合唱団のメンバーとの交流、そして音楽作りの過程を綴りたいとの思いから「人」と「音楽」について書いています。
私の活動はこの人たちとの交友で成り立っています。
今回から、それを少し拡大して作曲家についても書いてみたいと思います。
そこには古い歴史上の人物も含みますが、私と親交のある作曲家も登場します。
演奏は作品があってこそ成り立つもの。作曲家のことを抜きにしては語れません。

 その第1回、私が決定的に影響を受けることとなった「柴田南雄」について書きます。
「柴田南雄」、今年生誕100年、没後20年を迎えます。私は柴田氏の晩年に交流を持ちました。
以前よりお名前と作品は知っていたのですが、まさか私がその作品を演奏することになろうとは。
 それはドイツでの演奏に私が臨んだ折り、ドイツの聴衆から日本の作品を聴かせて欲しいとの要望を受けた時に始まります。
先ず、氏に作品を演奏することをお知らせし、作品についての幾つかのアドバイスを頂きます。
それがきっかけで親しくさせていただくことになったのですが、それ以後演奏毎に氏は大阪に来られ、練習に立ち会い、そして演奏会当日も遠く東京から駆けつけて下さっていました。
ある演奏会の終了後、私の控室に来られて「私の作品を超える演奏でしたね」との言葉は今でも私の耳から離れないでいます。

 柴田作品、それはこれまでの常識を覆すもの。構成からサウンドまで斬新さを誇る作品です。
また作曲様式もルネサンスから現代音楽にいたるまでその博学多識を元にしての独自の様式で作り上げています。
日本音楽界の重鎮でした。作曲家としてだけでなく、音楽学者、評論家としても大きな功績を残されています。
私は、氏の多く有る作品群の中で、合唱作品に携わることになったのですが、その作品がまた異色で素晴らしいのですね。
ステージに規則正しく整列するといったこれまでの演奏スタイルではなく、ホール全体を響かせるために、そしてリアリティに満ちた演奏のために、客席や、二階席に奏者、歌い手を配置。その縦横無尽の多元的な音源を特徴とするスタイルです。
これを「シアターピース」と呼ぶのですが、聴衆はまずそのことだけでも驚かされます。
しかし、そういった表面的な面白さだけでなく、その構成が実に巧妙に、歴史と音楽理論、そして西欧と東洋、その民族音楽も含めた文化比較といった観点からも捉えられていることで一層、深くまた感動させられる内容となっています。
 よく知られたことなのですが、氏とその親族は、学者、特に理科系での無類の家系。
創作にそういった環境の中で育まれた素養が含まれていることは当然なのかもしれません。
氏の最後の作品の演奏は私が引き受けることになっていたようです。
しかしその計画の中、1996年二月二日肝臓癌のため死去。見果てぬ夢となりました。
(この項続きます)





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