八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.148


【掲載:2019/6/20(木曜日)】

やいま千思万想(第148回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

演奏、それは「共感」を基底として結ばれていること

 私が率いる東京の合唱団の演奏会の翌日にこのコラムを書いています。
私が振る「定期演奏会」と呼ばれるものは、ステージ上に演奏者が登場し、その後指揮者が現れて楽曲を演奏する。
途中休憩を挟み、二時間ほど演奏が続く、そういった形式です。
しかし時に、もう少し小さめのホール(ステージ)やスペースでの演奏では、音楽に親しみを持ってもらうためにMC(演奏の合間に解説などお喋りすること)で繋ぎながら進行する試みも行います。
ホールの外の世界と、演奏とが関連性を持ち、客席とステージとは決してかけ離れてはいないのだと知っていただきたいとの方策かもしれません。
MCは長すぎず、簡潔にまとめるというのが原則だと知るのですが、私がこのスタイルを取るときはつい長くなってしまいがちです。
曲の解説、というよりは演奏する意図を話すということで長くなってしまうようです。

  昨日の演奏曲目は「命あることへの感謝と祈り」、そして「人間の苦悩と葛藤」がテーマでした。
第一ステージでのキリスト教のミサ曲に始まり、第二ステージでは偉大な功績を残した作曲家の青春の初々しい心の情景。
第三ステージはこの世の名利(めいり)を捨てた者が綴る無常感、はかなさです。
楽曲自体は説明無しでも共感を得られるように作られているとは言え、その世界が持つ「深さ」をより良く感じていただくためにとの思いで〈お喋り〉する演奏会としました。

 偶然にも思いも寄らぬニュースが飛び込んできました。
東京に居て、突然、大阪で起こった驚きのニュースです。私が住む市の近くでのこと。
私も短い期間ながら住んだことがある所でもあり、また現在は幾人かの合唱団のメンバーが住んでいる身近な場所で起こった事件です。
「交番で警官が刺され拳銃も奪われる」との報道。
犯人はしばらくして私もよく知るところの山中で捕まったとのニュースが流れたことで一安心するのですが、一瞬凍りつく程に動揺の出来事でした。
でもよく考え、見渡せば、このニュースばかりでなく、今、世界では大きな事件が目白押しです。
それがただ身近な場所、知人もいるということだけで現実味を帯び、遠くで発生している事件では「現実感」は薄くなってしまう。
同じ「人の命」を考えさせられる事件でありながら想像を通してだけではカバーしきれないのだと、またまた知るところと成りました。

 曲間の話の内容。
それは〈命を尊ぶ〉ということ。人の想いは「表」もあれば「裏」もあり(どちらが表か裏かの問題はありますが)、一つだけではないということ。
祈ることは「自身や対象者だけでなく全ての者に対して祈るべき」。
人の一生は「点」で捉えることなく「点が繋がる線」として見ること。
この世との葛藤は「悲観」に陥(おちい)ることなく、終わらせず、己と闘い、世と向きあいながら心に熱き火を灯しながら尽くす。
当日の演奏は〈「命」の尊さは全ての人にとっての基底なのだ〉と、聴衆との共感を目指す渾身の力を振り絞っての指揮となりました。  

 



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