八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.150


【掲載:2019/7/18(木曜日)】

やいま千思万想(第150回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

貴重なる一票、「己に忠実」なる思いで投じます

   皆さん、友人と政治についてお喋りしますか?
自分の周りについて感想は書けるのですが、一般的にはどうなのだ?となるとなかな書けないですね。
で、「お喋りしますか?」との問いかけになりました。
実は私はお喋りしません。私の周りにはそういう人が多いと思います。
誤解があってはいけませんが、だからといって政治に関心がないということではありません。
むしろよく実感的に個人として関心深いと思います。しかし、表だっては余り喋ることはありません。
どちらかというと政治的な方には話題を持っていかないようにしているようです。互いに気を遣っているのでしょうか。
いや、どちらかというと「言わなくてもそれぞれの思いが解っているから」なのでしょうね。

 自分の思いを仲間に聞いて貰おう、聴かせようとする場ではなく、自分の思いを確かめる場、人の考えを聴こう、観ようとの場になっているようです。
まぁ、結構練習時に「今起こっている社会状況」を喋る私ですから、そしてそれを通して音楽作りの一つとしていますから、改めて政治について議論しようとして集まったり、
酒を飲み交わす場を設ける必要がないのかもしれません。(実際、私たちの宴(うたげ)では前向きな「音楽の話」が多いです)
お喋りで一番困るのは、賢明な「議論」をすることができず他人をも引き込んで「喧嘩」のようになってしまうことです。
そのような風景を沢山みてきたように思います。
日本人はその辺りの表立った遣り取り(議論)が不得手ですね。理路整然と話ができないことが多いです。

 そんな中、以前にも増して政治の話ができなくなってきているような気がしてならない昨今。
賢明で、建設的な話題としての政治が話せたらいいのにと思います。
これ、大阪に住む私の実感です。どこか触れてはならない事のように遠慮がち、あるいは無関心振りです。
 さて、石垣島はどうなのかな?と思っての書き出しでした。

 音楽に戻りますね。
音楽の現場に立っていると否が応にもリアルな問題と出会います。
美を追究する芸術の世界であっても現在起こっている社会の出来事と無関係である筈はありません。
向き合って息が詰まる思いもあるわけです。
社会を思う時、やはり政治について考えてしまうことになります。
演奏する者も、それを聴く者も社会人なのですから政治と向き合っています。
「クラシック音楽」と呼ばれる世界で生きている私が〈音楽逃避〉することができないでいるのは、もともとクラシック音楽の発祥はその時代の世相の中で生まれてきたリアル音楽だからです。
演奏を「芸術」と呼ばれる心の美意識ということだけで解決できるものではありません。
創られた思い、「言葉」にならない思いや叫びを感じ取る知性と感性が必要だということになります。

  今、「選挙戦」真っ只中ですね。
只の一票、と呼ばれるけれど、いえいえ貴重な一票です!
それゆえに今日のために、そして未来のために「己に忠実」なる思いを投じたいと思います。  

 



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