八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.157


【掲載:2019/11/07(木曜日)】

やいま千思万想(第157回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

事を是正し、為すためには元を探らなければならない

    物事を押し進めて成し遂げる方法、それを音楽現場での体験で知ったことは多いです。
音楽作り(団作り)には様々な問題が潜在しているのですが、そのことが顕在化すればそれを是正しなければならない時があります。
最初は小さくて目立たない問題であっても、見過ごせばその後は想像をはるかに超えて大きな問題となり、修復不可能な状況にもなってしまいます。
そうならないためにも早期の発見と対策が必要です。

 さて、問題解決に向かって進もうとする時、困ることがあります。
「評論家」的な発言が多いこと。さも御指南申し上げるといった意見が述べられることです。
この時代、そのような意見だけで問題解決が進むと言うものではないと思う私です。
言葉以上に大切なことがあります。
それは「評論家的意見」を述べるのでなく、どう行動したか(しているか)、どのように動いたか(動いているか)、
その結果はこうであった、という情報が何よりも当事者にとっては必要なのです。

 世の中に、とにかく「物言い」が多いです。
専門家も一般人にも。言うだけで、書くだけで〈事足れり〉だと。
それが一時の話題となってよい方向に繋がることもありましょう。
しかし、もっと確実で真の是正を生み出すために必要なのは、行動、つまり〈実践〉結果です。
実践を通して学んだ事を伝える。それがとても大切なことだと思います。

 それを私は音楽の中で学びました。
それは本当に貴重な学びだったと思っています。
〈結果を生み出さなければ意味がない〉、これが鉄則だと考えています。
人は今起こっている事象に目を遣りがちです。
音楽作りで言えば、ハーモニーが濁る、アンサンブルが乱れる、全体の音楽の流れのバランスが崩れる。
それは誰々が、何処そこが原因だとして注意を与える。そう短絡に決め付け、解決を急ごうとしがちです。

 しかし、先ずはじっくりとその原因を探ることから始めます。
それは上手く行っていないことの元を突き止めることです。
そして、正して〈元を断つ〉。そうでなければ真に受け入れられる教えとはなりません。

 私、現場では教師になりません。評論家になりません。音楽の実践者として意見を述べます。それは実践の結果を踏まえての〈物言い〉です。
唐突な言葉となりますが〈物言い〉の元、その核心は「愛」です。
全体に思いを致し、思いを尽くすことです。
「愛」がなければただの中傷。
「愛」でなければ人は〈させられた〉となり、理解しての〈真の受け入れとなる教え〉とはならないと思います。
指摘するだけで終わりとしない。
自身が動いて、その成果をもって意見する。そうでなければ人の心は動きません。ですからそれは正せないことになります。これが私の信条です。
ハーモニーやアンサンブル、バランスの乱れの原因を実際に正せてこそ、その意見が生かされたということ。
実践を伴った現場感覚。個人的感情と受け取られる強い意見はただの中傷と取られてしまうことに。
その事が私への自戒です。  

 



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