八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.159


【掲載:2019/12/05(木曜日)】

やいま千思万想(第159回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

笑顔は平和の象徴、しかし笑顔の中身は色々です

   以前にも書いたように思うのですが、私は人の微笑みが大好きです。
笑顔を見るととても安心します。心が穏やかになりお喋りもし易くなります。反対に怒っているような顔を見るととても緊張してしまいます。
言葉数が減り、喋りは途絶えます。
沈黙が続き、そのうちに「何故、この方は表情が変わらないのだろう?何を思われているのだろう?」かと考え込んでしまい不安になっていきます。
幼い頃からそんな時期が長かったような。
けれど実はその方は怒っても、嫌がっているのでもなく、表情の乏しい「怒り顔?(失礼!)」、あるいは「心配顔」だけだったかも。
それは後々になって知りました。
〈苦虫を噛み潰したような顔〉との表現がありますね。そんな苦渋にも見えた顔を幼い頃からよく見てきて強烈な印象を残しています。
そんな時に出会(でくわ)せばどうしたらよいものか?ただただ困惑していた私です。

 そんな影響からでしょうか、出来るだけスムーズにコミュニケーションを取りたいとの思いからか「笑み」の習慣を身に付けたようです。
でもそんな頃によく友達から言われました。
「何がそんなに楽しいの?」「どうしてお前はそんなにヘラヘラと笑ってるんだ」。そして、言われてしまったのですね。「気味が悪い」と。
まぁ、そのように言われても仕方のない「笑み」を浮かべていた頃もあったのでしょう。でも、確かに「笑顔」でもって円滑に事が進んで行く。
そのことが解った時からはそんな事気にしないようになりました。
「笑顔」を振りまく、そして相手の人も知らず知らずに笑顔になっている、そんな風景を想像しながら、自然体に、笑顔しか知らないような「笑顔」で接する。
そんな私でいて良いと思いました。
しかし、私の「笑顔」の本当の意味は他にあって、人に笑顔になってもらうという目的が一番ではないことに薄々気が付いていました。
実は、「私を受け入れてくれませんか」「私に警戒心はいりませんよ」「悪いことを考えてません、嘘をついたり、騙したりするような人間ではありません」。
ただ、私は「友達になりたい」のです。という気持ちが一番強かったのです。

 「笑顔」、それは人間にとって一番の「人間らしさ」ではないでしょうか。そして「笑顔」溢れる所は平和です。平和の象徴が「笑顔」です。
世界全体が「笑顔」で溢れますように、どんな辛いこと、不幸があっても、先には必ず「笑顔」が待っている。やって来る!
そんな思い起こさせる〈何か〉がある。それって「夢」「希望」っていうことですよね。
今多くの写真の中に笑顔が溢れています。良いですね。警戒心や嫌悪感など浮かびようがありません。
しかし、です。中にはいかにも胡散臭い笑顔もあることも確か。
私が見せていた幼い頃の笑顔には沢山のごまかし、自身にも他人に対しても〈欺き〉の心が幾分かは潜(ひそ)んでいたように思います。

本物の「笑顔」でいたいです!「いつもヘラヘラと笑ってる」、と言われてもです!  

 



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