八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.176


【掲載:2020/08/15(土曜日)】

やいま千思万想(第176回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

沖縄の血が流れる私、そのことの意味は大きいと自負します

 振り返れば、中学生ぐらいまで私は暢気に生きてきたと思う。
世の中の価値観とは少しズレ、いつもマイペースを貫きつつ周りと接していた。
受験戦争、就職難、貧富の波の激しかった生活、一触即発(いつぶつかり合うかしれない)家族関係。
競争心や闘争心は強くなく、そんなことなど無関心で、いつも笑っていて、好きな事だけ集中し、周りからも可愛がられていたような私。
気が付けば家族の中でも、社会からも私だけ特異な環境に身に置くことになっていた。それでも私を見守ってくれた兄弟たち。

 日本社会の常識、しきたりを知らずに育ち(親からは強制的にしつけられた記憶がない)、
仲間からの強引とも受け取れるような誘いからは逃げ、好きな事だけには幸運にも人から背中を押されて進んできた人生。
お寺や神社には柏手、礼をせず、人がつくった神には懐疑的。
しかし道端にある花や石に手を合わせて念じ、祈るというひねくれ者、変わり者である。
そんな私に、はたと気付かされたこと。それは「私は沖縄の血を引く者だった」という事。
しかし育ったのは沖縄ではなく我が国「日本」という異国的な本土。それに気付かされた時から悩みが増え深くなった。
私の存在する場所が「人と少し違う場所」にある。
私の思考の目線が、本土に住む多くの人と異なっている。
価値観がいつも周りと異なる。

 しかし今日までを振り返り、本土での私にとって不思議、理解しがたい、利己的で「他」を認めようとしない「同調主義の価値観」に少し疲れを感じるようになった。
その言葉巧みさ、姿が見えない圧力で押しつけられて来たことにもう充分過ぎるほどに向き合ってきたように思う。
特にここ10年程、嫌というほどそれを味わった。そろそろ本当に「住みやすい場所」で生きたい、生きねばと強く本気で思う。
差別のない、格差の少ない「平等」を目指す共同体。
常に弱い者の目線でモノを考える私でありたい。
そのためにも〈権力思考の疑心〉を失わず、〈常識〉というものに縛られることのない柔軟な思考を持ち続けられることを願う。

 とにかく考えること。沢山の情報を得られるような環境にしておきたい。
私と異なる意見であればあるほど考えなければならない。悩む。その事が人間を高める。
観ること、聴くこと、知ること、体験すること、それらの全てが人間を高みへと向かわせてくれる、と私は信じる。
「音楽家が政治に口出すな」という人がこの現代にまだ居る。
他の国では「音楽家・芸術家」だからこそ政治に口を出さなければというコンセプト(概念)がそれぞれの国民間で共有できている。羨ましい!

 音楽家が求めているのはただ一つ。演奏ができるという「自由」。その他は無し!
人としての思いを音楽という形で表現する、ただそれだけです。音楽の本質はそこにこそある!
今この時に「新型コロナウイルス」について考えます。自分で考え、何が得策かを考えましょう。
あらゆる垣根を越えて、立場を超えて対応しあいたい!それもまた「自由」です!

 



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