八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.179


【掲載:2020/09/24(木曜日)】

やいま千思万想(第179回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

「コロナ禍」での決意のコンサート開催

 9月に入ってコンサートシーズンが訪れました。この『コロナ禍』において演奏会が開催されるのはまだまだ少数です。
大きな団体であればあるほど困難なことになっています。
秋は何と言っても気候がよく、じっくりと芸術鑑賞したいとの欲求も深まってくる季節。
しかしウイルスの専門家は、この季節だからこそウイルスにとっても活発化できる良い気候に入っただろうと予想します。
秋から冬へと、気温が下がり、空気が乾燥し、部屋も暖房によって換気が疎かになる。
これはウイルスにとってとても環境が良いこととなります。また新たな大きな波が起こると警戒を呼びかけています。
本当に先が見えない年を今は過ごしています。

 そんな時期を迎えようとしているとき、私はある決断をし、
9月13日(日)、今年の4月に予定しながら「新型コロナウィルス」対応で延期となっていたコンサートを開くことにしました。
私の団体(大阪コレギウム・ムジクム)《創立45周年記念》コンサートの一環となる演奏会。
演奏曲は歴史的名曲にしてなかなか実演を聴く機会の少ない、ハインリッヒ・シュッツ最晩年の作品「マタイ受難曲」。
ア・カペラ(無伴奏で歌う合唱曲)で1時間ほどかかる曲です。
今回はその演奏会が盛会のうちに終了した報告でもあるのですが、その作品の特徴を解説(というか、できるだけ判りやすく)できればとテーマに選びました。
無伴奏合唱曲って、ピアノやその他の楽器の手助けなく合唱だけで演奏するスタイルですね。
これって実は西洋クラシック音楽の中で最も難しい演奏法なんですね。
何らかの楽器があれば音程や音の高さ(ピッチ)など助けてくれるのですが、無伴奏だと全く助けなく、楽譜に書かれた通りに狂わずに歌わなければならない、
敢えて言うならば〈音痴に聞こえず〉歌い続けていくというもの。
それを2分や3分という短さではなく1時間もかけて演奏するのですからその難しさは想像して頂けるのではないかと思います。
一番怖いのは最後の音を聴くとき。
曲の終わりの音が、そして和音が楽譜通りの高さを保っているかどうか、これが演奏者にとって最も恐ろしい瞬間です。
巧くいけば名演奏となるに違いありません。合唱にとってこれほどの達成感と感銘(演奏者、聴衆にとっても)を味わえるスタイルはありません。
この曲、中心となる語り手が長々と言葉を綴っていきます。
言葉に音程は付いているものの全てが語りだけです。
の語りが配役の数だけ繋がって続きます。そして群衆や複数の登場人物が合唱で歌われる。
イエスと呼ばれ、世の中を救ってくれる「救世主」として慕われていた者が十字架に架けられ殺される。
その物語を淡々と、そして劇的にドイツ語で語り、歌い進めていく世界。日本人にとって難関の世界ではありますね。
そんな曲を演奏会にかける。
それもこの『コロナ禍』で。いや、だからこそ私は決意を持って開催しました。
人類普遍の問題性が浮き出されます。人類は進化したのか?と。

 



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