八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.184


【掲載:2020/12/03(木曜日)】

やいま千思万想(第184回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

「目覚めよと呼び声が聞こえ」が脳裏を駆け巡っています

 「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」というのはヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)1685-1750の有名な「カンタータ第140番」の邦題です。
宗教的情熱に満ちた天才作曲家J.S.バッハの代表作の一つですが、いきなりその音楽と歌詞とが浮かび上がりました。
原曲の意味内容の解説はここでは省かせて頂きますが、そのメッセージに現在も通じるものがあって、きっと私の意識下、脳裏から吹き出した言葉に違いありません。

 昨日(11月29日(日))、京都での演奏会が終わりました。
昼の部と夜の部の2公演。教会の礼拝堂をお借りしての演奏会でした。
いつものように、この演奏会も「コロナ禍」での開催です。
第三波と言われる全国的に多く感染者を出している状況下での活動、その中ではまだまだ大手を振って行うことにためらいを感じます。
が、敢えて〈だからこそ〉の開催と私は考えて臨みました。今回も沢山のご好意によって成り立った2公演だったと感謝しています。

 「新型コロナウイルス」感染対策について国が発するメッセージに右往左往します。
発せられるものがもっと明確で、細やかで、配慮あるものだと熱意も持てると思うのですが、
実際、家から出て活動してよいものか、
どこかに籠もって活動を控えるのが良いのか、
その決定が私たち一人一人の選択にかかっているために、その責任の重圧感が深くのし掛かる思いがあって、とても息苦しいです。
発せられる言葉の無力感だけが残ります。
私にはどう考えたって道理に無理のある政策だと思われてなりません。
経済優先が目立って、論理が歪んでしまっているようにどうしても見えてしまっている私です。

 「新型コロナウイルス」に打ち勝つためには何でもしましょう!我慢もしましょう。
自由も一時は止めましょう。協力を惜しみません。
しかし、新型コロナの一掃でなく、保証も無くコロナと共に生き抜いていきましょうとも受け取れる提案には正直諸手あげて「賛成」とはなりません。
そこには誰もが納得する十分な「補償」が必要です。
それが行われれば短期間でウイルス感染を抑えることができると考えます。それでこそ全国民が先へと進めます!

 道理の破綻が起きてしまった国は何処を向いて歩もうとしているのか。
国が心地良い言葉だけでなく、実行力を持って〈一人として命を失わせない!〉、
とのメッセージを発することができれば、我が国は悪評を得るのでは無く、世界から目が注がれ、一気に高揚し、好感度も高まるのではないか。
お金(経済)はなんとでもなるはず。しかし人の命はなんともならず。
今こそ、政策の優先の順位を考えてみる時であると考えるのですが如何でしょう?
「人が大切」、「人」こそ最大の国の財産である。「人を活かさねば!」そう私は考えます。
「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」のメロディーが聞こえています。
喜びを待ち望む多くの「声」が迫ってきているのが聞こえます。

 



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