八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.198


【掲載:2021/08/26(木曜日)】

やいま千思万想(第198回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

この「コロナ禍」が「人災」となりませんように!と心から祈ります

 いよいよ我が国の姿が鮮明になってきましたね。この「コロナ禍」と東京オリンピック開催で。
そしてそれは全国各地、都道府県で様々な形で「不安」となって現れました。
これまで見えてこなかった国民の姿(体質)もあぶり出され、
政府や国会も関心を持たれるようになったのではないでしょうか(この時期に開かれない国会とはなんでしょう)。
そして社会を構成するあらゆる場での思考と仕事内容、そしてその対応の良し悪しを知るきっかけとなりました。
そこには合理性の無い文言が溢れて、矛盾が否応なしにそこかしこに吹き出していました。
その結果、一人一人に「難」を押しつけられています。

 これらは決して遠く離れた他人事ではなく、自分自身に迫り来る「命への不安」ですね。
「不安」は何処から来るのか?それは私にとって、放たれる言葉やその内容が「命の軽視」と受け取れること、
コメント(決定や要請)が「科学」に基づいているとは見えず、巧みな言葉の言い回しによって姑息とも取れる文言であること。
またそれが幾度も繰り返され、ずっと途切れることなく続いている。これでしょうか。
そしてその「不安」の思いは現在「結果」となって表れています。

 我が国で大切な決定要因は「空気感」という人がいます。私もそう思います。
どんなに議論し、し尽くしても結局は〈科学的根拠〉や〈知性〉ではなく「空気」によって決まってしまう。
なにやら得体の知れないモノで事は決まってしまう。
これでは議論をすることでの進歩、大切さも失って無力感だけが脹らんでいくというものです。
その連鎖が今我が国では顕著になり、これまで経験したことない憂鬱さとストレス感を生みだしているのではないか。
毎日気が重い。(何度も言いますが、現在、国会も開かれていないですね。不思議です!)

 一層酷くなった「コロナ禍」。この国には安心への道筋が未だに見えてこない。
命の保証が守られず、ほとんどが自身による責任でもって対処せざるを得なくなってしまう方向へと向かっています。
人間にとって「共感」と「信頼」こそが難局を乗り越えさせる大事な要素だと思うのですが、
現在は「同調圧力」と「分断」を起こさせるような罵詈雑言(ばりぞうごん)がSNS上で飛び交うばかり。

 一年以上も続いている「新型コロナウイルス」への感染不安。
ウイルスは変化し、更なるスピードを得て強い感染力を持って拡大し、より厳しい症状悪化へゴールが見えてこない脅威となって我々を引きずり込もうとしています。
本土は整然としているように見えているかもしれませんが、人々の心の中は大嵐が吹き荒(すさ)んでいます。
私の活動は今のところ続けられてはいますが、コロナ感染の脅威はひたひたと押し寄せてきているように感じます。
これは人災とする防御を、と考えた方が良いと感じます。
石垣島はどうでしょう。「島」という環境が心配を大きくしています。観光の島。私が愛する島。
本土より心からの平安を祈り続けます。

 



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