八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.199


【掲載:2021/09/09(木曜日)】

やいま千思万想(第199回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

苦しみ、悩み、不安に苛まれている人こそが声を上げる

 政局が賑わいを見せていますね。どうしてこうも騒ぐのでしょうか。
伝えるニュースを見れば私にとっては次元の低い下世話話のように感じてしまっています。
ある政党の勢力図をいろいろと解説、人間の思惑とか関係性による票読み、そして人気投票。
いつまでこんなことをニュースとして流し続けるのでしょうか。ジャーナリズムはそこではなく、もっと伝えるべきものが有るはずですよね。
「コロナ禍」の状況、対策を事細かく、準備状況とその経過と結果とを報じるべきだと考えるのですが如何でしょう!

 いつのまにか伝えるべき大切な話題から、目をそらせるような話題へと全ての報道が集中するってどうなのでしょう。
今正に感染によって苦しみ、もがいている患者さんや、
自宅に追いやられ閉じ込められた人たちにとって少しでも身体が軽くなるような記事を伝えるべきではないかと願ってしまいます。
急ぐべきは今以て「コロナ禍」対策と見通しでしょう。「なるようになるさ」「もうどうしようもないね」「為すがまま」ということで統一されたのでしょうか。
感染させない、しない、との緊張感をもって生活、活動している者にとってはいち早く目に見える形で、直ぐにでも実施され実感できることを示してもらいたい。
そう祈る気持ちで、目に見えない「ウイルス」と闘い、ウイルスと遭遇しない、遠ざける(非人間的な動きですが)手段を講じる毎日です。
苦しみや痛みや失命の不安など数字からでは量れません(感染者数の発表の機会も以前に比べ少なくなっているのではないでしょうか)。
一人一人の状況が想像できなければ何人減った、増えた、だから大丈夫、いや危険だなんて判断できるものではありません。
数読みだけに終わるという「他人事」になってしまいます。

 他国から見れば我が国は危険なウイルス感染国と判断されているでしょう。もう、
国際交流はネットだけ、行き来はできなくなっているのが現状です。
そのネットも全国隅々まで繋がるという分布には我が国ではまだ至っていません。
世代によってもその使用には差が生じているはずです。格差が広がっている、ということでしょう。
苦しんでいる人、悩んでいる人、不安に苛(さいな)まれている人、それらの人たちは我慢せず、遠慮せず、声を上げて訴えていいのではないでしょうか。
その声をジャーナリズムが取り上げて世に知らせる。〈実情を知る〉その事から良い方向への道筋が見えてくるに違いありません。

 私の大阪での活動は滞ることなく進んでいます。
しかし、県をまたいでの活動は自粛の方向を取らざるを得なくなっています。
京都や名古屋への移動は緊張します。
東京へは「覚悟」が必要だとの私の思いです。「音楽」を皆が待っています。ワクチン接種も進んでいるでしょう。
しかし、安心を得るためには接種量はまだまだ足りてはいません。
ワクチンそのものへの信頼感(感染しないという解説)も当初と比べ低くなっています。
正に正念場です。対策の情報がもっと知りたいです!

 



戻る戻る ホームホーム 次へ次へ