八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.200


【掲載:2021/10/07(木曜日)】

やいま千思万想(第200回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

生命の尊さ、美しさ、しかしそれを軽んじる政策が同時並行する

オリンピック・パラリンピックの話題は過ぎ去ったこととなってもう遅いでしょうか?
しかし、しっかりと覚えておかなければならないことが沢山あったと思っています。
「コロナ禍」にあっての開催。賛否両論があった中、〈強硬〉して行われました。
アスリートたちも去年から振り回されていましたし、参加できたことは良かったと思うのですが、そう喜んでばかりではいられない気持ちが残ります。
開催中感染者も増え、死者も増えました。
その対策も忘れられたかのようにTV番組では情報が減り、お祭り騒ぎのようなオリンピック関連報道一色に染まり盛り上げようとしていました。
皮肉にもオリンピック開催は以前に増して我が国の姿を見事に映し出しました。
オリンピックそのものに対しても懐疑的になり、予算や関係者の優遇など〈正体観たり〉と感じた人も多かったのではないでしょうか。

私はスポーツをしているわけではなく、観戦に熱中することもありません。
どちらかと言うと観戦より体を動かすこと、その人間の機能に興味がある人間。
まぁ、歳を重ねるにつれ体を動かすことも少なくなり、仕事(音楽)に専念する時間が圧倒的に多くなったという人生ではあるのですが。

それにしても選手たちの身体の「動きの美」、「逞しさ」に深い感動を覚えます。特にパラリンピックではそうでした。
パラリンピックには多くの発見がありました。障害を持ちながらの挑戦。それぞれの競技の動きの美しさ。何という人間の逞しさよ。
そして驚異的な生命力と強い心と精神。障害を持つ人たちの「美しい姿の動体美」がありました!人間としての「誇り」がそこにありました。
「命」の不思議さ、逞しさ、そして強い優しさを改めて感じさせられました。
それを言葉では言い表せない大切なメッセージとして受け取りました。命の躍動、尊厳そのものです!

それらを観ながら、私は命を粗末にしているように見えた国の対策に強く嫌悪感を持ちます。
別世界で行われていたオリンピック。しかし同時に現実の世界では悲惨な生活が強いられていた。
それにつけても、この一年半に渡る『コロナ禍』に私たちの国で見たものは、何と醜(みにく)く、未熟な生態であったか。
「嘘をつき」「有るものを無いものとし」「変えてはいけないことを変え」「お金を私利私欲のために使う」
「人の心を傷つける姑息な振る舞い、誹謗中傷がまかり通り」「誠意あるかのようにたぶらかす」「情だけに訴え」「同調に流れる」。
その中に潜むぬるま湯的な安堵感からか、反対意見を持つ個人に向かって放たれる「同調圧力」の罵詈雑言(ばりぞうごん)の威勢。
そんな国が日本だなんて。思いたくもない!

首相が代わります。その選ばれ方を苦笑しながら見つめていました。
私には選ぶ権利はありません。一政党の人事です。日本の構造の縮図がそこにあると感じました。
それらを「茶番」「狡猾」「自己中心の誇示」と表現するのは言い過ぎでしょうか?

 



戻る戻る ホームホーム 次へ次へ