八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.214


【掲載:2022/5/26(木曜日)】

やいま千思万想(第214回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

伝統を担う者は今を生き切ってこそ〈表現者〉となる

  伝統を守る、というのは大変なことです。何故守らなくては成らないか?あまり深く考えることもなく「伝統は大切。
受け継ぎ、受け渡して伝統を伝え残す」とお題目のように人は言う。
大阪には「文楽」という伝統芸能があります。もう338年(1684年大阪道頓堀「竹本座」を始まりとする)を迎えるようです。
太夫の語り、三味線、人形が織りなす人情の世界、喜怒哀楽を見事に表現する。
しかし、正直なところ頻繁には訪れることのない私が居ます。
劇場では確かに今は語られることのない古い大阪の言葉、
情景や心情を弾き分ける三味線の斬新な音色、
現実よりもリアルな人形の動き。
これは紛れもなく世界に誇れる芸術です。一度体験すればその魅力に取り憑かれて通い始めるというのも理解できます。
もし私も西洋音楽を専門にしていなければ頻繁に出かけていたことでしょう。
伝統芸能には国や県や市からの補助金が付きもの。近年の「文化支援」の流れに沿って「文楽」も〈補助金見直し〉の結果、危機を味わいます。
大きなニュースになりました。近年、文楽の自助努力もあって観客も増えつつあったのですが、「コロナ禍」にあってまたまた危機感が訪れているようです。

 一度衰えると、伝統の継続は困難さを増します。
若手の育成が途切れます。ファンもその芸の魅力を直に味わう機会が少なくなり去って行くことになるでしょう。
「伝統を守る」のは本当に難しいものです。

 八重山の伝統芸能も然り。そのご苦労に頭が下がります。
滅び去ってはなりません。人間の心情の歴史をなくしてはいけません。
〈偲ぶ〉だけでなく、現代人、そして未来人にとっても〈現実感〉としての価値を持たせなくてはならないでしょう。
これは難しい事かもしれないのですがしかし、遣り甲斐のある仕事であることは確かです。

 視点を改めて新しい伝統の話を。
西洋音楽も1868年(明治)から現在に至る154年間という我が国としての伝統があります。
〈我が国固有の〉と冠することはできませんが間違いなく〈伝統〉と言って良いのではないかと思っています。
世界中のオーケストラに日本人の奏者がいます。
ピアニストもヴァイオリニストもコンクールを通して世界が認めるアーティストを沢山輩出しています。すでに世界の演奏史として綴られているわけです。
伝統を健康的な形で残し、未来へと渡す。
それにはやはり支援が必要です。
当然、自助努力があってのことでしょうが、過去からの伝統を継続するためには〈個人〉だけでなく〈公〉の助け、力も必要です、
それによって多くの人々へと伝えていく太くて確かな道筋ができます。
人々が多くの文化的形態を知り、経験し、生活の中に取り入れ、そして精神そのものを豊かにしていく。
伝統となる技術の習得には年月がかかります。
手軽に、即席に手にいれられるものではありません。その時間そのものを伝える技術もまた必要です。
伝統は精神史でもあるわけです。
切磋琢磨しながら、伝統を担う者たちは今を〈表現者〉として生き切ります。

 



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