八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.218


【掲載:2022/7/21(木曜日)】

やいま千思万想(第218回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

「知性」を得なければ「真実」を知り得ない 社会の健全は如何に?

   定期演奏会が近づいて来て、日々忙しさも増しています。演奏家にとって「定期演奏会」は特別な意味を持つ演奏会です。
その演奏によって評価が下されます。依頼されての軽めな演奏や、我々が「お仕事」と称する「音楽会」とは意識が異なります。
決して「お仕事」を〈内容を軽くみる〉という事ではないのですが、よく演奏するレパートリーを聴いて頂くか、
挑戦的で新しい試みを「定期演奏会」では堪能して頂こうとするか、の違いと言ってよいでしょうか。

 私はそのように区別をしています。
どちらの演奏も〈自ら楽しむ〉ことが必要なのですが、「定期演奏会」ではそれに加えて〈常に新しい音楽の世界、眺望を目指す〉という緊張感を伴います。
心地良く超緊張する時間、それを演奏の醍醐味とする。そう位置づける演奏が今また近づいている、という訳です。

 そんな時期を迎えている時に元総理大臣が昼日中(ひるひなか)に「銃弾に倒れる」という事件が起こり、
そして「選挙」があり、またまた新しい「ウイルス株BA-5の蔓延」が起こり、
今は「宗教」が取り沙汰されている。
それぞれに大きな問題を含んで、私たちの生活に重くのし掛かり〈後への「付け」〉を残すという歴史を刻む。
この国は「現在進行形」という形を取りながら、矛盾に満ちて、問題に溢れ、抱え込んで、道を突き進もうとする。
「歴史とは」と問わない?
「歴史に学ぶ」とは考えない?
人間の深い暗闇に光を照らさない?
「孤独」に溺れてはいないか?「幸福は皆と共にある」とは見えないか?
「知識を得る」
「多くの異なった視点を持つ」、そんな人が増えれば多くの問題が解けていく、
と思うのは「空想的」でしょうか。

 世の中に起こっている事、それを憂慮しながら過ごすのはストレスが溜まります。
自身が気が付かない深いところで溜まっていっているようです。そんな時に救いとなる「音楽」。
仲間たちと音楽の中に居る時は本当に幸せな時間を共有しています。音楽の中に人間を結ぶ「真実」を発見することができるからだと思います。
作品は「歴史」と、その中に生きた「人間」を捉えて考えることを教えます。
そして演奏からは、演奏する「個とする人」の大切さを思い知らされます。
もし、「考える」という行為を怠れば演奏そのものが面白さを欠き、不揃いで稚拙な表現となり、聴衆にも何かしらの「物足りなさ」を残してしまう。
考え、得た「真実」こそが両者を結ぶ。そう信じます。

 「真実」の尊さを体験する、そのことが何よりも大切ではないかと思っています。
そして人間の「知性」が「人」を作り、社会としての未来を健全で平安なものへと変えていく、そのような歩みを得たいです。
定期演奏会を間近にして改めて「人」の大切さとその「知性」の在り方を考えさせられています。
今、我が国で起こっている事件は禍根(かこん)を残すものと成り得ます。
それらを良い方向へとの気持ちが湧いてきています。
如何にして行うか?先ずは音楽家として「真実」を貫かねば、です。

 



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