八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.222


【掲載:2022/9/15(木曜日)】

やいま千思万想(第222回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

「集団」の力は「激烈」な悪ともなる

  3年後(2025年)には、私が創設した「大阪コレギウム・ムジクム」が50周年を迎えます。
永く続いています。半世紀に渡って活動を続けているのですね。色々なことがありました。
以前、30年間オルガニストを務めていた教会から追い出されるという事も有りました(演奏会がその教会で続けられなくなったこと、
そして私自身の進退事情はまた別の機会に書きたいと思っています)。

 現在は「日本福音ルーテル大阪教会」で多大なる理解と後援を頂くという形で「マンスリー・コンサート」が引き継がれています(今月9月にNo.469を迎えます)。
ルーテル派教会からの理解、信頼には言い尽くせぬ感謝、そして精神面において深い安堵感を頂き活動が継続されています。
永く続いていることには自負もありますが、危機感も持っています。
人々が集まり、ある人が長く要職に就くことが決して良いものには成らない、繋がらないということを嫌というほどかつての「追い出される」過程において味わいました。
人々を集め、その中心となって推し進める者には「強い責任感」と自身を戒(いまし)める「自戒」が絶対に必要です。
私の人生は、共に活動を続けて来てくれた団員(合唱、オーケストラの仲間)、そして惜しみなく応援して下さった聴衆、
及び後援会員の方々に支えられていることを識り、〈社会に貢献する存在〉となったとの互いの確認の元で成り立っているものです。
皆の存在を認め合うことから始めました。互いに尊重し合う。
今流に言えば、「リスペクト」。先ずは50周年までこの基(もとい)がブレることなく続きますことを、その誓いをここに表したいと思います。

 集団が時として「大きな悪となる」。集団となって「個人を責める」。その集団の力は強烈です。
しかし集団を作っている一人一人の責任感は軽い。
対して、責められる個人は命をかける事態となり人生をも壊されることも。
もし、権力者が集団となればこの力は最も「巨大な悪」ともなって激烈に襲いかかることになる。
権力者は歴史を顧みれば結局は「腐敗」への道を辿(たど)っています。
その原因は傲慢(ごうまん)と堕落(だらく)。
集団を束ね、ある目的に向かおうとする者は「自戒」の責任を覚悟で臨むべきですね。

 今、我が国の政府に対してどうしてもその事を思い重ねてしまいます。
国民に〈平和と繁栄〉を託された議員たちの「自戒」はもう何処へ行ってしまったのでしょう。だれも責任を取らない。開き直り。
「知恵」は地に墜ちた?凋落(ちょうらく)してしまったのでしょうか?
人々はこれから益を得られる権利「利権」と、既に益を維持している権利「既得権益(きとくけんえき)」とどう向き合うか。
それが鍵のように思います。我が国は〈大事な時〉を迎えているようです。こんな迷路に陥(おちい)ったことはなかったのではないか。
入り口、方角も出口もわからなくなっているようです。
いまこそ一人一人が「知恵」と「責任」を指し示す時なのではないか!と思います。

 



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