八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.224


【掲載:2022/10/13(木曜日)】

やいま千思万想(第224回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

前向きに、打算でなく今を生き切る日々!

 コンサートには「リハーサル」が付きもの。
「ゲネプロ」(Generalprobe=ゲネラルプローべ)というドイツ語もあるのですが、どちらも「舞台総稽古」の意味。
本番と同じように演奏する練習のことですね。
コンサート前日とか、数日前の「最終点検」としての試し演奏です。
私の場合はコンサート当日の本番前の練習を「ゲネプロ」と呼んでいます。

 つまりこれは、考えてみれば「本番」を2回するということにもなります。
演奏者にとっては、体力的にも、集中力からしても負担は大きくなります。
奏者によってはあまり「やりたがらない」人が居て、合わせものの楽曲ではハラハラさせられてしまうこともしばしば。
私はそれが嫌で、「ゲネプロ」も本番さながら、本番通りに演奏することを要求します。
まあ理想的には本番当日、午前中にゲネプロをし、
昼休憩時間をたっぷり挟んだのち(4〜5時間)本番に臨むことが良いのですが、
なかなか日本ではホール側の事情(使用料等)もあってそのようなわけにはいきません。

 ヨーロッパなどは、野球のフランチャイズのように契約していることがあって、
ホールと演奏者や演奏団体が一つとなって、奏者の身体を考慮した体制が整っているようです。
本番と同じ場所で、最良の環境を使って最良の仕事をし聴衆に音楽を提供する。なんと羨ましい文化であるか。
そんな事を思いながらつい先日も定期演奏会を京都で終えました。
誤解のないように言わねぱなりませんが、そのホールのサポートは他に比べて断然良く、随分長く使わせて頂いています。
が、そうであっても現実は理想とはまだ距離が有りますね。

 練習には「伸び代」を残しておくということが大事だと識りました。
「一分の隙もない 」仕上げにするのではなく、本番に使える「自由」を残して置くことが音楽を楽しめる重要ポイントです。
練習の「コツをつかむ」、それは規律の中の自由を識ること。
それを掴(つか)めば〈物事の本質を見抜き、自分のものにする〉ということに繋がります。

 人生についても同じ。人生に自己保身、温存のゲネプロなんてありません。常に本番が続いていると思っています。
失敗も含めて真剣に臨む、それが人生の日々に通じるとの思いです。
取り戻せない時間って有りますよね。後で悔やむようなことはしたくない。
「あの時ああすれば良かった」なんて言っても〈あの時〉はもう取り戻せない。
一生懸命した上でのことならば納得もできますが、どこかで「力を抜いていたなぁ」とのことならば、それは「もう取り戻せない時間」となってしまいます。
そんな思いはしたくない!その気持ちが現在まで私の活動を支えています。

 「生き切る日々」という言葉が好きです。
余分なことを省いて本質に生きる。「一期一会」を用いて説明したりもしますが、〈その時しかない〉という気持ちです。
自己保身に繋がる〈守る姿勢〉ではなく、
人間と向き合って〈前向きに、打算でなく今を生き切る!〉、そう有りたいと思っています。

 



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