八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.246


【掲載:2023/08/31(木曜日)】

やいま千思万想(第246回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

相手の立場に立って(考えて)観る。立場を変えて(入れ替わって)考えてみる

 もうこの国は一体何を基本として成り立っているのか理解しがたくなってきた。
このコラムには専門である音楽によって、その活動で培った知識を多くの人々と共有し豊かな生活、人生を送って頂ければと、
その時々の「感動」をお伝えしたくて始めたものでした
。 その音楽は政治や経済などこの国の政策と深く関わっていて、その基本的な合意があってこそ安定した日常を送れるというもの。
しかし、音楽だけでなく全ての分野で、社会的に矛盾に満ちたものになってきていると思うのです。
息苦しい!その矛盾に気が付いた者が苦しく感じる。

 専門的に研究はしていませんから、あくまでも一国民として日常を送っての「実感」に基づいての意見に過ぎません。
私が〈守りたい思い〉には幾つかあるのですが、
〈相手の立場に立って(考えて)観る。立場を変えて(入れ替わって)考えてみる〉
が最近よく脳裏に出て来るようになりました。
本当に一度、相手に成ってみれば意外なものに気付くはずなのですが。

 例えば、つい最近のニュースに「福島第一原発 処理水 海洋放出」があります。
〈海洋放出〉に賛成する人のSNSには「風評被害に加担するような意見、発言はするな」との投稿が多く見受けられ、
「新聞社などの大手のメディアもそれを加担するような記事は書くな」と息巻きます。
〈海洋放出〉に反対する人は、「原発処理水」の安全性に疑問があって、「処理水」ではなく「汚染水」であり、その汚染水を海に捨てるな!との意見でしょう。
片や安全性が確かめられたと主張し、片やその安全性に疑問があって信じることができない、と主張。
判断した「機関」に従う人、信じられない人はその「機関」に疑問、不透明さを主張する。
そこに国際的な外交問題が絡むと、どの国が賛成で、反対かがまた争点となる。

 一般的には〈互いにフェイク記事だとの応酬〉。
文章には稚拙さが目立ち「私は福島産の魚介類をどんどん食べる、皆さんも食べるように」と激しく意見する。
また当事者の漁師たちは「これまで風評被害にも抗(あらが)って復興してきたのに、またもや汚染騒ぎか」とくる。
原点に立って観れば良い。
この国の政治に「欺瞞」と「虚偽」「不信感」が、ある時期から起こった。
その流れは続き、「嘘をつかれる」「信用できない」との思いが徐々に脹らんできている状況。
この状況、「このままでいい」「信用できる」とする人と、「このままではよくない」「信用できない」と意見する人との攻防と捉えることもできますが、
賛成意見の人には論理に無理があり(信条的、感情的な思考が勝っている)、反対意見の人には「言葉の弱さ」があり、「持続性に欠ける」ように私には思える。
そして、「よくもまぁ、国民は我慢し、忍耐強く現実を受け入れられるものだ」と他人事のように冷めた眼で観る。
放出は今後30年程度続くとされています。いやそれ以上続けなくてはならないでしょう。
まだ完全には「汚染」を「処理」できる方法は見つかってはいないのですから。





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