八重山毎日新聞社コラム
人は年を取る。今年74歳になった私には「歳」の文字がむやみに脳裏をかすめます。
【掲載:2023/09/14(木曜日)】
やいま千思万想(第247回)
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
「老人」の役目は沢山ある!先ずは〈生ききること〉そして・・・・・・。
人は歳を取る、これは当たり前の事。そしていずれは「亡(無)くなる」。
これは誰もが納得しなければならない真実。
私が知る限り、年を取っても元気に日常生活をおくっている人には共通点があるように思えます。
よく歩き、腰をかがめたり伸ばしたり、食べ物を美味しく頂き、そして何らかの趣味(仕事)を持っている。
その中でも特に「農業に携わっている」人は、驚く程皆お元気だ。80歳、90歳にしてかくしゃくとしていらっしゃる。
農作物、とくにお米を作っていらっしゃる人の並ならぬあの運動量は頭が下がる。
機械化が進んでいる田畑も増えていますが、黙々と人力で耕し、収穫作業までされている人もいる(その膨大な運動量は計り知れません)。
長生きの原因はそこにあると思うのですが。
その方達は、体だけでなく、精神的な根強さ(芯の強さ)もきっと持ち合わされている。
真の生産者だと私は心から尊敬します。その方達が望まれる支援・対策を是非、国としての大切な政策としてほしいですね。
正直言って、私が歳を意識し始めたのは60歳代前半から。それまで〈歳を取る〉なんて考えたことはなかったです。
それまでに、年齢に添った人生計画をもう少し考えていることが必要だったのかもしれないですが、その事を怠ってしまうような毎日の連続。
その日々に、体のメンテナンスの必要を感じた。まぁ、それが「歳」を意識した始まりなのでしょう。
それから既に7〜8年は過ぎました。目覚めから就寝まで怠ってはいけないこと、それは、先ずは各筋肉の増強、そしてそれらのバランスを保つ運動。
そして今ではそれらの毎日の運動に加えて、週1回(忙しさで数を増やしきれず)トレーニングジムに通っています。
「現役」としての務めだ、とあきらめて〈真面目に〉取り組んでいます。
音楽といっしょで、運動も楽しくしなければ結果は出ません。人間の営みの実質はやはり「遊び心」だとまた確信します。
「歳をとりながら、生かされている」、その意味って何だろうと考えてしまうのですね。
正直、体のメンテナンスの必要性を感じた時から「現役離脱」。後は、「好き勝手の人生」。
たとえ怠惰(たいだ)になっても良いじゃないかって思っていたこともあったのですが、私の「人生の神」は許さなかったですね。
「歳」の意味を〈余計にも〉教えたかったようです。迷惑な話です。
『一生懸命に生きたこと、遊ぶように楽しく学べたこと、黙々と惜しみなく〈農民のように〉肉体を使う生産性とその知識を。
それら、活き活きとした人生を後の時代に引き継ぎ(申し送り)せよ!』と。
年寄りにとって大切なのは、己の生き様を語る(喋らなくても伝える)こと。
想いを、体験を、技術を、時代の様子を、それらを伝える「人生」です。
できれば、それらの背景や、他の意見(異なった意見)も加えられたら万全です。どうでしょう!「年寄り」の方々。