八重山毎日新聞社コラム
明治神宮外苑再開発、そして木の伐採が話題になっています。
【掲載:2023/09/28(木曜日)】
やいま千思万想(第248回)
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
本来あるべきことが行なわれる国であって欲しい
ある報道では10年前から計画があったといいます。その間、国民に議論をする機会も与えられず進められたと報じます。
この事の真偽は確かめられなくてはなりませんが、昨今の我が国の事態を考えれば〈有りそうな話〉です。
本来あるべきことが行なわれず、失われ、あるいは酷く変容されるようになってから久しいです。
実に、事は巧妙に、狡猾に水面下で計画され、国民には外堀と中堀を埋めてから実行直前に知らせる。
その時にはすでに決定事項となっており、関連会社も多分予算に組み込まれた事業となっているのでしょう。
反対していてもすでに時遅し。反対意見はどのような法的手段を取ろうとしても思いは届かなくなった日本。
裁判もおかしくなっている。「赤木問題」も「処理水(汚染水?)海洋放出」の判決も記憶に新しい。暗澹たる思いは消え去らないです。
話は変わりますが(実はそう変わりません)、10月の中旬に石垣島に訪れる予定を組んでもらっています。
理由の一つは、先日亡くなった朋友を悼むため。もう一つは「島」。
日本を守ってくれること、その決意を示されたかのように感じる島を訪れて、「今」を見に行かねばとの思いからです
。
先ず、朋友を語るのは辛い。「島人」を誇っていた彼とある事で意見が合わず、私が見限った形で別れた。
島を思う気持ちは沖縄の血を引く私にとっても彼と同じ。
その対し方、方法に意見が噛み合わない。
彼は逝った。もう話はできない。「島を見届けてから逝ってよ!」。
私は愚痴とも寂しさとも言えない入り混じった気持ちで、時が経っていく〈人の不条理〉に涙が溢れる。
島には島の、住民にはそれぞれに住民の都合が有る。身近な事として。
私は未来を見つめる。時間をかけてゆっくり、確実に。
意識を変えるには「力技」ではだめで、「知識」と「賢明さ」が必要。
フェイクを見定め、真実を追いかける。その中で道が見えてくるものと私は学んだ。
島は今や有事の際の前線に立つ。
気になる記事を見た。
シェルターの整備?住民のための?
新聞の記事には、〔宮古島を含む南西諸島を中心に「様々な種類の避難施設」を確保すると明記した。
宮古島市は6月、防衛省に、建設を予定する体育館の地下をシェルターとして活用するための財政支援を求めた。
市は約4500人が3日間過ごすことを想定し、備蓄倉庫や自家発電機を備えることを計画しており、政府は支援額などを検討する。〕
住民が逃れる場所?本当に島人?その前に要人が優先され、腕力のある者が競って入ろうとするのでは(沖縄戦での悲惨な歴史が頭をよぎる)。
そして、きな臭い札束が飛び交っている様を私はリアルに夢で見る。
なぜ、戦い、殺し合う前に回避する「外交」を実施しないのか。その努力をしないのか。
世界のあちらこちらで行われている蛮行、それを無くす、超える道を探りませんか?
愛する石垣島が前線に立つ姿、それを未だ受け入れ難く見つめています。