八重山毎日新聞社コラム
ある曲の歌詞に(実は聖書からの言葉ですが)「齢(よわい)70年、健康であっても80年」という言葉があります。
【掲載:2023/11/09(木曜日)】
やいま千思万想(第250回)
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
「清貧」と言う言葉が離れません。帰って来た島の印象の続きです。
さてこれはどのような人生をどう生きるか、です。
振り返ります。私の歩みを。社会を体験する小学生時代、異性に興味を覚えた小学高学年、性の欲望と葛藤した高校時代、社会の仕組みに疑問と理不尽さを覚えた学生時代。
社会に出てからは真っ直ぐに、音楽に邁進した時代。
その時に初めての悔しさ、憤り、悲しさ、そして人の愚かさと残酷さを味わいました。
しかしそれは、「音楽」上の事ではありません。
それだけにその体験の傷は私の心に深く刻まれることとなっています。
「人間は一度、〈甘い汁〉や〈美味み〉を知ったならば、それを離さずには居られない」
「1人では何も出来ないのに、徒党を組めば、罪深いことも平気でやってのける」ということ。
その体験以後、私の生き方はそれらを「反面教師」として、「美味しそうな話、誘いには気をつけろ」であり、
「集団化すれば一層一人一人がその質を問われ、賢人となるよう努力を怠らないように!」が、生き方の核心となりました。
現在、私は70歳を越え、80歳に近づこうとする。
私にとって今はどのような時代なんだろうか?と自分自身に問い掛けます。
様々な想い出が交差し、そして結び付きます。
先日訪れた石垣島。その印象の続きを書かせてください。
「私の人生」の話を考えるにあたって打ってつけの題材かと思います。
島を訪れてから少し経つのですが、やはり一抹の不安を拭い去ることができません。
私が覚えている、感じた〈活気〉が感じられなかったのですね。
島の静けさは安らぎを与えられものでなく、何かしら生ぬるさを持った空気感を本土に帰ってきてからも思い出します。
未来が拡がり、〈栄え〉を感じさせる昇り立つ光が見えない。
今も多くの方々にとっては「沖縄・石垣島」は訪れたい場所のランキングは上位にあるでしょう。
しかし、都会を目指してはいけない、って叫びたくなります。
「観光島」をと願うならば、どこもかしこも同じような都市化を目指すのではなく、独自の魅力作りが止まらない「文化力」を持つ事こそ価値が高まり、
世界中から人が訪れる場所となるに違いないでしょう。
他の力に頼る「棚からぼたもち」式の栄えは長くは続かないと、歴史は物語っています。
「人」が観光資源です。その人たちと、持ち前の「美しく、稀有な貴重な自然」と併せ持てば最強の観光地です。
「富」への執着には気をつけましょう。
人の弱さは自然界にとって脅威です。自然が崩れて、バランスをなくして、いったん怒れば、人類など一溜(ひとた)まりもありません。
それこそ全滅の危機です。
世界中から「人」を呼び寄せようではありませんか。
「人間力」が人間を栄えさせ、人を、社会を、豊かにします。日常生活が豊かになる。
「豊か」の意味は個々違うでしょう。
私はいまだに、「清貧」という言葉に惹かれます。
ちょっと時代後れですかね。