八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.253


【掲載:2023/12/21(木曜日)】

やいま千思万想(第253回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

「メインカルチャー」と「サブカルチャー」との健全なバランス、それこそが課題です

 212月17日(日)の公演、その「演奏にあたって」を一部転載させて下さい。
現在の私の悩みと活動方針を述べています。当日の演奏、聴衆からも確かな反応を頂きました。

 『今日のプログラムは音楽史を俯瞰(ふかん)し、圧縮したようなプログラムとなっています。 最初に感じられるのは「闇鍋的」ではないでしょうか。
ドイツ音楽が並んではいるもののスッキリと一貫性、を見ることができない。
しかし、それこそが私の中で燻り続ける「現代」です。
世の中、どの分野においても合理性が薄くなりました。
音楽の世界では、「クラシック界」に新たなアーティストが現れ、あるいは見出されて盛況に見えるのですが、
確実にその事で聴衆の世代間に偏りも生じているように感じます。
会場には総じて若者が少ない。
一時、若者がジャンルを超えてクラシック音楽を聴く層も増えたかと思うのですが、いつの間にか衰退したように思われます。
本場である欧米諸国でも同じ兆候。ドイツ在住の知人との話でもその話題でした。
趣味は多種多様、嗜好も多岐にわたる現代です。
それは文化、政治経済の動向にも波及し、今までになく大きな「分断」の渦となって現れています。
これは人類史においても驚きの時代です。その時代にあって敢えてこのプログラムを組みました。
今の時代、メインカルチャーが信じられなくなり、サブカルチャーが優勢になった結果ではないかと思う私です。
「メインカルチャー」とは、社会の(主流をなす)構成員が健全な文化として受容するものです。
伝統的には、文学・美術・演劇・音楽などの事で、大学で学問対象として研究されたり、新聞・雑誌などで論評の対象になるものと考えます。
「サブカルチャー」は大衆文化と捉えましょうか。
「メイン」に対してアンチテーゼとしての性格もありましょう。
「サブカルチャー」の定義は世界の文化と同じ数、いや、それ以上の数が有ります。
それを捉えて定義するのは難しいのですが、ただそれは、〈必要のないもの、価値のないもの〉では決してない、と言えます。
メインを健やかなものにするためにも、サブは必要。
そしていずれはその両者の融合として新しい文化を生み、未来へと、人類の進歩となって受け継がれていくべきもの。
しかし我が国の文化は少しバランスが崩れていっているように思う私です。
未来の社会を構築するか、どう見据えて活動するか。
それが問われ、自分に課せられていると感じて仕方ありません。
流行りものに目移りすることを慎重に、そして控え、「メインカルチャー」を追う本道を歩く。その道を選びたいとの思いで活動を続けてきました。
本道とは、物事の道理に適った道です。その道理を学び、自分のものにするための活動です。
今回の選曲は私の身体の中にある、確かな鼓動を明らかにし、伝えるものだと言えます。
先人たちの築いた技法や心の有り様を一音一音に込め、「今を生きる音楽家」の作品を通して、「今のこの時代」を映します。』

今年も終わろうとしています。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。





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